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第23回参議院議員選挙(2013年)
2913
:
チバQ
:2013/08/04(日) 20:49:24
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/feature/akita1374512477332_02/news/20130723-OYT8T01481.htm
13参院選 検証
正念場迎えた「非自民」
松浦大悟氏(左)の街頭演説に応援で立った寺田典城氏(7日、井川町のスーパー前で) 「選挙では選ばれなかったが、自民党政権、アベノミクスは間違っていると、これからも政治に携わる人間として主張していきたい」。民主党現職として再選を逃した松浦大悟(43)は21日夜、秋田市山王中島町の事務所で敗戦の弁を述べた。2010年参院選まで、比例も含めて国会議員6人を擁した民主党県連は、国会の議席を全て失うことになった。
同県連は、昨年末の衆院選の県内3小選挙区で全敗。落選した寺田学(36)と川口博(65)はそろって離党し、今年4月、それぞれ秋田市と小坂町の首長選に挑んで再び落ちた。地方議員の離党も相次ぎ、党勢は一気に衰えた。
松浦は選挙戦で「争点は一つ。このまま自民党だけでいいのか」と訴え続けた。「民主の枠を越え、『非自民』のシンボルにならないといけない」とも言い、非自民の結集を呼びかけた。だが、07年参院選で民主、連合と「3者共闘」した社民党県連は、09年衆院選の対応などを巡って民主との間でしこりが生じ、今回は自主投票。松浦の推薦を決めた連合秋田の幹部は5月下旬、社民党県連に松浦を連れて行き、関係修復を図ったが、かなわなかった。支援に動いた同党地方議員は一部にとどまった。
松浦は同じ頃、民主を離党し、昨年の衆院選秋田3区に他党から出馬し、民主候補とともに落選した前衆院議員・京野公子(63)に応援を頼んでいた。だが、それを聞いた京野の支援者が「(京野を)落とすために礼を欠くことまでやった。絶対に許せない」と拒絶し、実現しなかった。
松浦陣営の非自民としてのまとまりも中途半端だったようだ。民主を離党した地方議員が遊説の先導を引き受けたが、前日に急きょ、遊説時間の短縮と選挙カーの順路変更を告げられた。そのため自分の支持者の一部に松浦を推せなかったが、支援依頼はそこで終わった。「地域ごとに議員や連合で選対を作り、支持を広げるのが筋。相談してくれれば状況を変えられた」と話す。
一方、松浦の「応援」を表明した、みんなの党の参院議員・寺田典城(すけしろ)(73)は度々、松浦と一緒に街頭に立った。典城は「国も県も自民のオール与党になったら、誰がチェックして意見を申すのか」と訴えた。ただ、演説は民主批判も交えた自らの政策提言が主で、松浦にはほとんど触れず。演説後には報道陣に応援の理由を「息子(学)が長年(民主に)お世話になったのもある」と話した。
民主内部をよく知る地方議員は、典城の応援は、非自民を結集させて新たな勢力をつくり、自らが改選を迎える3年後、学を後継者に据えるための布石とみている。
一方、松浦も敗戦の弁とともに「自民党政治はうまくいかない。その時の準備をしたい」「もう一度国政を目指したい」と、国政への意欲を強調している。
今回の参院選で、民主は最後の議席を失っただけでなく、比例選の得票率が10年参院選の6割ほどに落ちた。みんなの党の得票率も8・27ポイント減の4・63%。社民も得票が目標の半分足らず。いずれも後がない状態だ。
それぞれの思惑が絡むなか、時には確執や政治理念を越えて、野党の役割を果たせるのか。非自民は正念場を迎えた。(敬称略、西田道成、教育部・桜木剛志、おわり)
(2013年7月24日 読売新聞)
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