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貧困スレ

504名無しさん:2015/09/27(日) 12:54:51
>>503

● 親や教員への不信が募った子ども時代 定時制高校で未来は開けたが…

 ミサトさんは1978年、福島県内で3人きょうだいの末子として生まれ、2歳上の兄・1歳上の姉がいた。サラリーマンの父親と専業主婦の母親は不仲。父親は、外で働いて給料を母親に渡すことはするものの、家庭には無関心だった。母親は、物心ついた子どもたちに夫の愚痴を垂れ流しては「アンタたちがいなければ、私はさっさと離婚してたのに」と嘆息していたそうだ。

 「正直、『そんなに人のせいにするんじゃない! 』と思っていました。自分も母親になり、年子の子どもが3人いて大変だったのはわかるんですが、だからって、それを子どもに言っちゃいかんだろう!  と思います」(ミサトさん)

 その後、ミサトさんが10歳のとき、父親は会社を退職し、自営業者となった。母親は父親とともに、自営業の事務や手伝いをするようになった。バブル崩壊直前の時期にあたっており、事業は順調だった。

 しかし子どもたちにとっては、「家に帰っても母親はいない」ということでもあった。学校で何があったか話そうとすると、母親は「うるさい、ジャマ! 」と言う。中学時代のミサトさんは、「お母さんは話を聞いてくれないから、何も話さない。もういいや」と達観していた。すると母親は「私はアンタの母親なんだから、アンタの考えていることくらい、分かるわよ! 」とぶつかってきた。

 「母親は、なにもかも『自分は正しい』という感じでした。『自分はなんでもやってきた』という奇妙な自信と、押し付けがましさがありました。大人の自分だからやれることを『アンタもやれるでしょ』と中学生の私に言い放ったり、よその子や兄・姉と比較して『なんでアンタは』と言ったり」(ミサトさん)

 中学時代のミサトさんは、高校に行きたいと考えていなかった。数学の授業についていけなくなり、大人への不信感から、

 「どうせ先生は、できる子にしか教えないんだから。私が分からなくても、勝手に授業は進んでいくんだから。だったら、もういいや、という感じで過ごしていました。もう、勉強というより、学校に興味ありませんでした。どうせ、どこでも先生って、こんなものなんだろうと。とにかく『自分は何がしたいんだろう?  何のために生きているんだろう? 』ばかり考えていました」(ミサトさん)

 しかし、母親に「とにかく高校だけは卒業しなさい」と言われ、中学の先生に「とりあえず面接だけだから受けてみては」と勧められて受験した定時制高校の3次募集に合格して進学したミサトさんを、思わぬ出会いが待っていた。

 「先生たちが、中学までのイヤだった先生たちとは全然違っていて、伸び伸びしていて。友達のような感覚で話ができたんです」(ミサトさん)

 学校生活だけではない。

 「数学、何もわからなかったのに、小学生に教えるように、わかるまで、ゆっくり説明してくれたんです。『こんな簡単なことが、なんでわからなかったんだろう? 』と、初めて思って、楽しくなりました。そして『定時制に来て良かった』と思いました」(ミサトさん)


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