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民主党政権綜合スレ

5890チバQ:2011/09/04(日) 02:04:01

 もともとジャーナリスト志望だった野田佳彦首相が松下政経塾の門を叩くきっかけは、父親がたまたま見かけた「1期生募集」の広告だった。

 「金権体質の(地元の)千葉を変えたいんだ。政治をもっと国民に身近なものにしたい」

 入塾後の首相はこんな理想を仲間に熱く語っていたという。しかし、「経済や外交で議論したことはほとんどない」という、今では信じがたい証言もある。

 故松下幸之助氏が創設した政経塾だが、首相をはじめ松下翁から直接薫陶を受けた初期の世代と、その後の世代とでは、塾から得たものは相当違うようだ。

 2期生の元杉並区長、山田宏日本創新党党首は「幸之助さんは3期ごろまで毎月のように塾に来ていた。『私はいつ死んでもええ』と悲壮な気持ちで語りかけていた」と話す。

 その後、松下氏は病気となり、国の行く末を憂える「幸之助イズム」を伝授する機会は減った。8期生の徳永久志参院議員は「1、2期はひざ詰めで指導を受けたから、そのプライドがあるのだろう。僕らは講義録の資料でしか読めなかった」と語る。

 首相が今回の民主党代表選で争った前原誠司政調会長は8期生。前原氏の出馬で一時は「当選圏外」とまで言われながら、首相が意志を曲げなかったのは、1期生としての自負だったのかもしれない。

 ここに1枚の写真がある。国会議事堂を背にして中央に立つブレザー姿の男性が若き日の首相だ。撮影されたのは平成5年の衆院選直後。細川護煕元首相率いる日本新党や新党さきがけなどの新党ブームに乗り、政経塾出身議員は一気に15人に増えた。写真には、自民党の逢沢一郎国対委員長のほか、前原氏や樽床伸二幹事長代行、玄葉光一郎外相、長浜博行官房副長官の姿が見える。

 それまで政経塾は「功なり名を遂げた老人の隠居趣味」と揶揄(やゆ)された。最初から政治家の道が保証されていたわけではない。あるOBは「大学を出て普通は就職するのに自分は何をしているのか。夜も眠れない日々が続いた」と明かす。

 今も決して全員が順風満帆というわけではない。5年に初当選した宇佐美登元衆院議員は、15年の衆院選で比例復活したのを除き5度の国政選挙で落選。スキャンダルや選挙違反で議員辞職したまま国政復帰を果たせないOBも多い。

 悪評が頂点に達したのが18年の偽メール事件だ。当時代表の前原氏は「確証がある」と断言しながら、虚偽が判明し代表辞任に追い込まれた。質問にゴーサインを出したのは国対委員長だった野田氏だ。

 それでも、OBの多くは政経塾の強みを強調する。山田氏は「既得権益や利害打算にとらわれない人が多い」と指摘する。民主党の吉田治衆院議員(6期)も「政経塾ができるまでは30代で国政に出ることができるのは世襲議員だけだった。お金がないと選挙に出られないという風潮も打破した」と語る。

 首相の入塾試験の面接官も務めた松下翁は、選考基準を問われ「運と愛嬌(あいきょう)のあるやつ」と語ったという。「経営の神様」に認められた強運は政権発足後も続くのか。(杉本康士、尾崎良樹)


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