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民主党政権綜合スレ
2208
:
◆sn2EOyFHzg
:2010/02/09(火) 02:36:23
>>2199
私は「安定した経済成長と社会秩序」によって日本人が「政治」との関わり方を忘れてしまい、再び「政治」が必要となった現在の状況に対応できなくなったのではないか、と考えてます。
自分の仮説ですが、まず高度成長によって生活苦を覚えなくなった大衆が大規模な街頭運動から離れるなど脱政治化し、次いで70年代には労組も総評の政治路線が敗北し、学生も80年代の消費文化に飲み込まれてノンポリ化します。
80年代の「一億総中流」の雰囲気の中で、経済的に満たされ、私生活のことにしか気に掛けなくなった日本人は次第に「闘い方」「連帯の仕方」を忘れ、言わば牙を抜かれた状態になります。
90年代に入り、長引く不景気の中で日本人の生活基盤がどんどん切り崩されていきますが、一度闘い方を忘れた日本人は自らの不満を政治的に表出する方法を知りません。
それどころか、この時期に流行った「自己責任」論によって自らの苦境が政策の失敗ではなく、自分の努力不足に因るものだと思い込むようになります。
こうやって、「どうやって闘うか」だけでなく、そもそも「自らの状況を改善するために同じ境遇の仲間と連帯して闘う」という発想自体が欠けた日本人が世に溢れるようになる、と。
ここ数年になってようやく非正規ユニオンなどを通じて「連帯して、闘う」ことを日本人が思い出しつつあるように見えますが、悲しいことにそれは社会の主流になれていないようです。
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