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民主党政権綜合スレ

1925チバQ:2010/01/01(金) 15:23:04
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100101ddm001010026000c.html
ガバナンス・国を動かす:第1部・政と官/1(その1) 消えた急進改革人事
 政権交代を機に、日本の統治(ガバナンス)は転換期に入った。私たちは「国を動かすシステム」という意味を込めて、ガバナンスの変化やあるべき姿を追いかけたい。最初に取り上げるのは「政と官」。民意を背負う政治家と、行政実務者である官僚との新たな緊張関係だ。(2面に「私の政官論」、14面に「政官攻防の歴史」特集)

 ◇財務省と組む「脱官僚」路線、選択
 民主党が衆院選で圧勝し、鳩山内閣が発足するまでの間、新政府の設計図は何度も書き換えられた。

 この過程で経済産業省の中堅幹部を「平成維新」(鳩山由紀夫首相)の中軸として起用する人事案が内定し、やがて不可思議な形で葬り去られた。そこに隠されていたのは、財務省との距離のとり方をめぐる民主党内の路線対立だった。

 仙谷由人行政刷新担当相が、経産省から政府の国家公務員制度改革推進本部に出向している古賀茂明氏(54)を東京・紀尾井町のホテルニューオータニに呼び出したのは、選挙から5日後の昨年9月4日だった。会員制の高級スポーツクラブ内にある小部屋が面会場所に指定された。

 2人は初対面ではなかったが、とりたてて親しい間柄でもなかった。仙谷氏としては古賀氏に知恵を借りたかったようだ。古賀氏は1980年に旧通産省に入省。経済産業政策課長、中小企業庁経営支援部長など中枢ポストを歴任後、08年7月に公務員制度改革事務局の審議官に就任し、急進的な官僚機構改革の提唱者として知られるようになっていた。

 「公務員改革も、規制改革も全部やりたい」。新政権でのポストは未定だったが、仙谷氏は高揚した様子で意欲を語った。古賀氏は「事務次官のポストは廃止した方がいい」「公務員リストラ法を制定すべきです」と持論を語った。両者は意気投合し、仙谷氏は「僕が入閣するようなことがあれば手伝ってほしい」と告げた。

 厚生労働相への就任が有力視されていた仙谷氏は、土壇場で行政刷新担当相になる。鳩山内閣が発足した翌日の9月17日夜、古賀氏は東京・丸の内のフォーシーズンズホテル丸の内に呼び出され、仙谷氏から「内閣審議官兼行政刷新担当相補佐官という肩書で来てくれ」と要請された。閣僚による事実上の内示だった。

 2人は、公務員制度改革事務局メンバーの「総取り換え」についても話し合った。仙谷氏は次回会う時までに新メンバーのリストを作成してきてほしいと古賀氏に頼んだ。

 3回目の接触は9月22日、場所はニューオータニの一室だった。指定された時間は「午後3時」。ところが、古賀氏は2時間待たされた。その間、仙谷氏は同じホテルの別室で鳩山首相の腹心である松井孝治官房副長官(旧通産省出身)、国家戦略室長を兼ねる古川元久副内閣相(旧大蔵省出身)と長時間の協議をしていた。

 古賀氏は改革構想をまとめたA4判の紙2枚を持参していた。「平成の目安箱の設置」「天下りの根絶」に加え「国家行政組織法を見直し、政令によって柔軟に各省・各局の統合を可能にする制度改正」など8項目が盛り込まれていた。政令による局の統合構想は、霞が関の縄張りを壊す劇薬だった。

 古賀氏と入れ替わりに松井、古川両氏は部屋を出た。残った仙谷氏はしばらく黙っていた。そしてぶぜんとした顔つきで独り言のように「とにかくいろいろ難しいんだよ。これからゆっくり考えるかな」と話した。明確な説明はなかったが、古賀氏の内定はこの場で事実上取り消された。

 直前の3者会談で何があったのか。関係者によると、この場で仙谷氏は「古賀さんの補佐官起用は財務省がのみません」と再考を迫られたという。古賀氏は麻生内閣当時に財務省の予算編成権を内閣府に移す「内閣予算局」構想を推したため、財務省の猛反発を買ったことがある。

 松井氏は「私が古賀氏について言及したことはない」と強く否定した。しかし、民主党が霞が関の盟主・財務省と組んでの「脱官僚」路線を選んだのは確かだ。国家戦略室のあいまいな位置づけ、事業仕分けなどを通して、それは次第に明らかになる。


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