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民主党政権綜合スレ
1435
:
名無しさん
:2009/11/11(水) 09:26:14
下地幹夫議員のブログより
No.245 2009年11月10日
シリーズ「嘉手納統合案の真実」(全4回)
第1回「政府と沖縄県はなぜ13年間も普天間基地の辺野古移設で合意できないのか」
今月13日からアメリカのオバマ大統領が来日されます。オバマ大統領のアジア歴訪の最初の訪問地が日本であることからしても、アメリカが日米同盟の重要性を強くアピールしていることは間違いないでしょう。そのオバマ大統領と鳩山総理の日米首脳会談で、両首脳の心の中の最大の関心事が、米軍普天間飛行場の返還・移設問題ではないでしょうか。
下地ミキオのホームページでは、注目すべきオバマ大統領の来日を控え、今日から4回にわたって、「嘉手納統合案の真実」をお届けいたします。1回目の今回は、普天間飛行場の返還が決まってから今日までの13年という時間をたどってみたいと思います。
「政府と沖縄県はなぜ13年間も普天間基地の辺野古移設で合意できないのか」
アメリカ国務省のカート・キャンベル次官補はかつて、沖縄の姿を「Too many eggs in a basket(多くの卵が一つのかごに詰め込まれている)」と表現し、沖縄における米軍再編計画の難しさを物語りました。同じカゴの中で卵を入れ替えようとしても、卵はバランスを失って崩れてしまう、つまり、沖縄県内で移設をすることは困難だということであります。
この難しい米軍再編計画がスタートしたのは1996年4月12日午後8時、当時の橋本総理が、総理官邸で「普天間基地の全面返還」を発表してからであります。あれから13年が経過し、その間、総理大臣は8人、防衛大臣は16人、沖縄県知事と名護市長はそれぞれ3人というように、多くの政治家が沖縄県の米軍基地負担軽減のために努力されてきましたが、普天間基地の辺野古移設は実現しておりません。
その間の政治状況はといいますと、“政府は自民党”、“知事も自民系”、“県議会も自民系が過半数”、“名護市長も自民系”、“名護市議会も自民系が過半数”という、ある意味パーフェクトな状況で取り組んできたわけであります。しかし、何度も申し上げますが、日米両政府は合意しましたが、いまだ政府と沖縄県は合意していない。それが普天埋設問題の現実なのであります。
なぜ、このような政治状況の中においても合意できなかったのかということは、沖縄県と政府との間で“不一致”が起こっているからであります。ひとつめの“不一致”は、1996年4月12日、橋本総理と大田知事との間で起こりました。当初の普天間基地の全面返還が決まった際に、橋本総理は「普天間基地の返還と同時に、代替施設が必要だ」と大田知事に伝えたと言われておりますが、大田知事は「聞いていない」として意見の相違が生まれ、1998年2月6日、大田知事は、政府が提案した「撤去可能な海上ヘリポート案」を拒否いたしました。
ふたつめに、稲嶺知事が当選後3年という時間をかけて提案された「軍民共用2000メートル滑走路・使用期限15年案」であります。稲嶺知事の思いは、「米軍基地負担を永久に沖縄が背負うべきではない」という考えから、時限付きにするべきだということで、使用期限を条件にされました。しかし、日米両政府は、膨大な予算を投下し建設した2000メートル滑走路に15年の使用期限を設けることはできないと拒否いたしました。その結果、政府が提案した「L字案」に対して、稲嶺知事は合意しなかったのです。その後の2006年4月、突然、「L字案」が「V字案」に修正されたわけですが、その時も、島袋名護市長と政府は合意しましたが、稲嶺知事は「L字案」と同様に「V字案」に対しても、使用期限がないことを理由に合意に至らないまま、稲嶺知事は任期満了をもって知事職を退くことになりました。
みっつめは、仲井真知事が、日米両政府が合意した「V字案」に対して「V字案の沖合い移動修正案」を提案したことであります。しかし、これについても日米両政府は受け入れられないとして、今でも合意に至っておりません。なぜ、日米両政府が仲井真知事の「沖合移動案」を認めないかという理由として、「修正を認めるとパンドラの箱が開くことになる。それは、海兵隊が、現在の1500メートル滑走路の辺野古案について不満を持っており、この修正の機会に新たな要求を海兵隊が突きつけてくるのではないか。そうなれば、せっかく合意した日米両政府の案そのものも壊れてしまう」ということであります。そして、仲井真県政は今月で3年目を迎え、今もって合意できていないというのが現状であります。
これが「日米が合意しても、沖縄県と政府の間で合意がなければ進まない」という13年間の検証の結論なのであります。
*2回目の次回は、「米軍普天間飛行場辺野古移設決定に潜む5つの政治的リスク」をお届けします。
衆議院議員 下地幹郎
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