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情報メディア綜合スレ

551とはずがたり:2022/11/10(木) 17:36:28

日曜日の探偵:ポパイはなぜホウレン草を食べたのか
http://serogan.la.coocan.jp/paperback/?page_id=46037

日本でポパイのアニメがはじめてTV放映されたのは1959年から1965年、TBS『不二家の時間』(不二家一社提供枠)でのことだった。

とはいえ、1939年(昭和14年)の映画『エノケンの孫悟空』には、既にポパイのパロディ場面が盛り込まれていて、劇中ではホウレン草を食べたときの音楽まで流れたりするので、アニメがはじまる前から、日本でもポパイというキャラクターはそれなりには知られていたのだろう。

エノケンところで、このポパイというキャラクターは成り立ちが面白い。

1919年のこと、エルジー・クリスラー・シーガー(Elzie Crisler Segar)は、New York JournalにThimble Theatre(指ぬき劇場)という漫画の連載を始めることになった。

主人公はハム・グレイヴィ(Ham Gravy)とその恋人オリーブ・オイル(Olive Oyl)、そしてオリーブの兄キャスター・オイル(Castor Oyl)の3人だった。

thimbletheater

連載開始から10年後の1929年1月17日、ハム・グレイヴィとキャスター・オイルはサイコロ島(Dice Island)への航海のために船乗りを雇うことになる。そのとき脇役として登場した片目の船乗りこそがポパイだった。

その一話だけで終わるはずだったポパイは、何をやっても不死身な所から一躍人気キャラクターとなって、瞬く間にハムの主役の座を奪い、恋人のオリーブまで奪い去ってしまうことになる。

遂には連載のタイトルも、”THIMBLE THATRE Starring POPEYE”に変わってしまった。

ポパイモデル1実はポパイには現実のモデルがいる。

それはイリノイ州チェスターに住んでいたフランク・ロッキー・フェイグル(FRANK “ROCKY” FIEGEL[1868-1947])という人物で、パイプをくわえている写真は、まさにポパイそのものだ。

チェスターは、作者のシーガーが住んでいた町で、彼の漫画のキャラクターの多くは、現実にチェスターに住んでいる人々に触発されて生み出されていった。

例えばオリーブのモデルは、一般店のオーナーだったDORA PASKEL(1872-1953)である。彼女は細くて背が高く、漫画となったオリーブと同じような服を着ていた。

そしてハンバーガー好きのウィンピーのモデルは、昔シーガーが働いていたオペラハウスの上司、 J. William (Bill) Schuchertである。

オリーブ1

ポパイと言えば、ピンチになるとホウレン草の缶詰で超人的な力を発揮するキャラクターとして知られているけれど、当初はそんな設定なんてなかった。

ウォール街ポパイとホウレン草が結びつくのは、1930年代にアメリカが大恐慌に陥ったことからはじまる。

米国政府は、肉の代用として鉄が豊富なホウレン草を促進するための方法を探していた。

そして彼らが目をつけたのが、国民的な人気者となっていたポパイだった。

その時点までのポパイの漫画では、ポパイの超人的な力の理由が説明されることはなかった。

しかし、政府のキャンペーンによって、突然、ポパイの強さの秘密は、ホウレン草にあることが描かれるようになったのだ。

また米政府は、長期保存ができることから缶詰の促進も考えており、そのためにポパイが食べるホウレン草は、当時は存在しなかったほうれん草の缶詰になったのである。

1932年からポパイがホウレン草を取り上げるようになると、ホウレン草の売上高は、33%も増加したという。

さら子どもたちの好きな食べ物のランキングでは、七面鳥やアイスクリームについで、3位にホウレン草がランクインするという驚くほどの効果をもたらした。


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