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情報メディア綜合スレ

394とはずがたり:2017/06/08(木) 23:03:16

20151224
フラタニティ(差別)を壊すにはコメディで/アニマル・ハウス
http://cinematoblog.hatenablog.com/entry/2015/12/24/200000

映画評論家の町山智浩氏が影響を受けたコメディ作品の一つとしてあげられ、映画ライターであり悪魔崇拝主義者でもある高橋ヨシキ氏がよく紹介する映画の中に「アニマル・ハウス」があります。

「アニマル・ハウス」は、フラタニティ(友愛会)を舞台に、差別的な社会の中で自由に生きるフラタニティのメンバーが、世の中の不条理に立ち向かう、という内容の映画です。

コメディというのは、常に権力者への揶揄や、人間がもつ本質を捉えたものが多いのですが、「アニマル・ハウス」は、1962年を舞台に、様々な人種がいるアメリカの、その差別的な実態が捉えられた名作でもあります。

フラタニティ。
日本語では友愛会と訳される言葉ですが、これは、アメリカの大学の中でも、エリート大学で存在する互助会のようなものです。

自主的に運営する組織の中で、生徒の間で認められたものだけが入れる組織となっています。

これに入れるかどうかが一種のステータスにもなるという、限られたものだけがはいることを許された組織なのです。

このフラタニティという制度自体が、そもそも差別的な存在となっているのですが、「アニマル・ハウス」では、オチこぼれの人たちが集まってできている、フラタニティ「デルタ・ハウス」が中心の物語となっています。

オチこぼれといっても、「デルタ・ハウス」のメンバーの中には、成績優秀な人間もいたりして、一概に、オチこぼれとも言い切れません。

中でも有名なのは、「ブルースブラザーズ」のジェイク役などでお馴染み、ジョン・ベルーシです(劇中では、学業的にはオチこぼれですが、非常に行動派です)

アメリカのコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の最初期メンバーでもあり、もともと人気があるコメディアンであったジョン・ベルーシですが、「アニマル・ハウス」では、「デルタ・ハウス」の精神をあらわす重要な人物になっています。

女性の着替えを覗きにいったり、学食の食べ物を会計をしないで次々と食べたり、その反社会的な行動は、清清しいぐらいです。

何を考えているか全然わからない人物としてはじめは登場するのですが、不正や差別なんかをみると、放っておけないところがあり、フラタニティのメンバーをいじめた奴を、「食べ物戦争だ!」と叫んで、まわりを巻き込みながら復讐するさまは爽快です。

「男は怒らず、黙って仕返し」Don't get mad. Get even>>387

これがデルタの格言であり、色々な方法をつかって彼は黙って仕返しをしていきます。

また、全員が落ち込んでいるシーンの中、声を張り上げながら、「やってやろうぜ」と叫んで、みんなを先導していく様は、ジョン・ベルーシの存在感なくして語れないでしょう。

カウンターカルチャーの前

この映画の時代設定が、1962年というのは、非常に重要なタイミングとなっています。

カウンターカルチャーと呼ばれる体制的な文化に反抗していく気風が生まれつつある時代であり、カウンターカルチャーがまだ存在していなかった時代なのです。

カウンターカルチャーといえば、ヒッピームーブメントなどが代表的なところですが、いわゆる大人たちへの不信感などから、既存の価値観をぶち壊そうとする動きと思っていただければいいと思います。

そのカウンターカルチャーが生まれる前の話ということを考えてみることで、「アニマル・ハウス」はより深い意味を帯びてきます。

物語冒頭で、アメリカの北東部にあるとされるフェーバー大学に入学した二人の男が「オメガ・ハウス」に訪れます。

先輩は一応、形の上では快く出迎えてくれますが、彼らが純粋な白人でないとみるや、隅っこに案内して、きちんともてなしてはくれません。

さらっと場面は終わってしまうのですが、見た目に冴えないというのもありますが、おそらく、ユダヤ人だからという理由で追いやられたのだと思います。

奥の席には、インド人らしき人たちや、東南アジア人。目がみえなかったり、身体に不自由があったりする人たちがいて、その席に座らされる。

一応、公式に差別はしていなくても、実際には差別が存在するというのをさらりと描いています。


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