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情報メディア綜合スレ

342とはずがたり:2017/01/05(木) 17:55:35
ネットに蔓延する「正しさ」が息苦しい その正義感が危うい理由
小説家、星野智幸さんのインタビュー。テーマは「正義感」で一体になることの怖さです。インターネット上で、路上で、生活の場で……。「正しさ」の圧力から逃れる言葉を探します。
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/hoshino-tomoyuki?utm_term=.hmNnwxKnm#.iaj1Rox19
posted on 2016/12/17 06:00
石戸諭 BuzzFeed News Reporter, Japan

インターネットが息苦しい。そんな風に思う人は少なくない気がする。例えば原発問題。なにかにつけ賛成か反対か、批判するのかしないのかが問われ、意見が違うとわかると強い調子で言葉が返ってくる。
はじめは興味があった論争も、内輪ノリが強まって、なんだかどっちもどっちだな、と思って離れてしまう……。
「正しさや正義感は陶酔をもたらし、一体感を生む。この一体感こそが曲者です。ほんとうはみんな個人で思っていることが違うのに、集団の論理や言葉が優先されていく。これを僕は『正義という病』と呼んでいます。いまの社会のいろんなところに転がっているじゃないですか」
こう語るのは小説家の星野智幸さんだ。
新聞記者を経てメキシコに留学。いまの社会が抱えている問題を小説の中に取り込んできた作家だ。2000年に『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞。『俺俺』は亀梨和也さん主演で映画化され、今年は過去の作品をテーマ別に編み直した『星野智幸コレクション』も刊行された。

星野さんの小説を貫いているのは「正しさ」に対する違和感だ。最新長編『呪文』では、インターネットの炎上騒動をモチーフに、こんな構図を描いてみせた。舞台は「『今、ここ』ではなく、少しだけ未来」……。
ある駅の近くにある松保商店街。その一角にある「夕飯のとれる居酒屋」が、インターネットでデマを書き散らかされ炎上する。トラブルになった客が被害者を装って「暴力居酒屋」と書き、抗議が殺到したのだ。
居酒屋の店主はデマを潰すために事実関係を詳細に書いた反論をネットに公開する。毅然とした対応に加え、商店街の未来像、今後の対応を示すブログも話題になった。
これを機にネットの空気は変わる。「神対応」「崇拝するわ」といった声があふれ、商店街の客トラブルに対応するために有志の若者が立ち上がる。
デマには正しい情報を流すことで対抗する。これ以上の事実に反するデマは許さない。正義に突き動かされた有志のデマ潰し集団はやがて、デマを流した客が近隣住民であることを突き止める。
客、そしてデマに踊らされた地元住民=失格住民の洗い出しをはじめる。求めるのは彼らの改心だが、その方法はより過激になっていく……。

小説の着想を得たのは路上だ。星野さんもヘイトスピーチに反対するデモに参加した。そこで見えてきたことがある。
差別発言を繰り返す人たちが、なぜここまで言葉の暴力をエスカレートさせることができるのか。彼らは彼らで、独自の「正義」をふりかざす。
「本気で信じている『正しい歴史』があるのでしょう。本気でやっているから、まったくぶれない。正しさを主張する集団に、自分のアイデンティティーを重ねて、自己肯定感を得る。一体感の快楽に酔いしれるために暴力をふるうのです」
「正しさ」を求心力につながる一体感。そこから生まれるのは高揚と自分たちは絶対に間違っていない、という感覚だ。自分たちは本当に正しいのか。少しでも疑問を挟むと、一体感はなくなる。ならば、間違っていないと信じたほうがいい。
これはヘイトスピーチを吐く側だけの問題なのか。
「批判する側が同じ問題に陥ることもありえます。人を傷つける言葉の暴力を、なんとか止めたい。あるいは、差別に傷ついた人同士が、苦しみを共有し、立ち向かう。その姿に共感するのは当然でしょう。けれど、批判する相手の間違いが明白なあまり、自分たちの行動に一切の誤りはないと信じ込み始めたら……」
「そこで、すでに正義の落とし穴にはまっている。一体感が優先されていって、自分たちを批判する者はすべて許せなくなる。差別批判以外についてもあたかも声が一つであるかのようになる。本当はそれぞれの考えがあるはずだろうに」


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