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情報メディア綜合スレ
251
:
名無しさん
:2016/02/21(日) 22:26:27
http://dot.asahi.com/aera/2016021800241.html
「沖縄は動かされているだけ」大学生監督の「定型」外の沖縄映画
(更新 2016/2/21 07:00)
普天間返還が合意された年に生まれた沖縄出身の大学生映画監督・仲村颯悟。自らの人生を踏まえて制作した自主映画に、どんなメッセージを込めたのか。
「人魚に会える日。」を鑑賞した後、しばらく頭の中が混乱していた。どう解釈すればよいのか、分からなかったのだ。沖縄をテーマにした映画の「定型」からは明らかに外れている。それが仲村颯悟(りゅうご)監督の狙いだと知って、「やられた」と思った。
沖縄の架空の集落「辺野座」を舞台に繰り広げられる「ホラーテイストのファンタジー」。現在最もホットな沖縄の政治課題である辺野古新基地問題をど真ん中に据えながら、容認派か反対派かという二元論に回収されることを避けている。というより、拒んでいる。これは仲村の意思であり、たくらみである。
それを物足りないという人、あるいは不謹慎だととらえる人もいるかもしれない。だが、基地への賛否の論議に回収された瞬間、作品には政治的な着色が施され、観客を選ぶ。そうした「すみ分け」を超える作品を仲村は志向したのだ。
仲村は昨年4〜6月に寄稿した「沖縄タイムス」の連載でこうつづっている。
「幾度となく繰り返される“沖縄の人”同士の争いなど、もう見たくない」「沖縄は動いているわけではない。いつまで経っても動かされているだけだ」
基地被害の当事者である宜野湾市民は、「代理戦争」によって分断を強いられた揚げ句、選挙結果を「外部」から都合のいいように解釈されている。
普天間返還が合意されたのは1996年。「普天間問題」の20年は、今年成人式を迎えた仲村の人生の軌跡と重なる。仲村には沖縄の人々が「もうみんな疲れ果ててしまっている」ように映るという。そして、「フィクション」として辺野古を扱った理由をこう語る。
「自分だからこそ伝えられる手法で描こうと考えたときに、物語としても楽しめる映画にしたいなと思いました」
2010年の前作「やぎの冒険」で中学生映画監督として華々しいデビューを飾った仲村。実はその後、「もう映画を撮りたくない」と思う時期もあったという。14年に慶應義塾大学に進学するため、沖縄を離れたことが転機になった。
6月23日は沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」だ。沖縄は公休日で島じゅうが鎮魂ムードに包まれる。しかし、関東で初めて迎えた平日の「6.23」に、「こんなにも違うのか」と衝撃を受けた。通学の電車で人身事故と遭遇し、いら立つ人々を横目に「慰霊の日だよ」と叫びたくなった。大学の友人からは「沖縄ってよく県民大会するね」とも言われた。「何度も開催する理由を考えてほしい」と思った。
本土の人に「沖縄」を伝えたいと考えたとき、自分には映画がある、と不意に力が湧いた。
※AERA 2016年2月15日号より抜粋
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