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情報メディア綜合スレ

100名無しさん:2010/04/19(月) 22:21:23
今年は村山談話から15年の年でもある。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、
植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、
心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、
責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」。

こう宣言した村山談話は、特に韓国との二国間関係で基本法的な意味を持つ。この声明の準備に関わった人間が3人いる。
武村正義、鳩山由紀夫、司馬遼太郎。談話が出されたのは村山内閣だったが、準備と言うか、助走は細川内閣のときから始まっていた。
中心人物として名前を挙げるべきは武村正義だろう。
細川内閣のとき、司馬遼太郎が文化勲章を受賞した。当時、この50周年の宣言文の起草を司馬遼太郎が担当するのではないかという噂が立ち、
朝日新聞などはその前提で記事を書いていた。実際のやりとりは不明だが、残念ながら、その構想は実現に至らなかった。

武村正義と五十嵐広三がそういう依頼をしていたと考えるのは、特に外れた見方だとは思わない。
村山内閣の官房長官だった五十嵐広三は、96年3月の「司馬遼太郎さんを送る会」に出席していて、私はそれを大坂ロイヤルホテルの現場で目撃した。
鳩山由紀夫の東アジア共同体構想が出たときは、鳩山由紀夫が細川内閣の官房副長官を務め、記憶は曖昧だが、
特に歴史認識の領域で斬新で画期的な政府発言を繰り返したのを思い出し、当時との内面的な継続性を思わされた。
格調高い宣言文を日本は出したが、その後の15年間は、この宣言を行動で裏切って後退させる一方で、

特に小泉政権から安倍政権にかけての戦前回帰の妄動によって、日本政府は自らの立場を矛盾なく説明できなくなっている。

95年の村山談話の後、これほどの反動と暗黒が日本を覆うとは想像もできなかった。
今の日韓関係は、少し前とはまた違って、日本側にまともな政権ができたせいもあるが、
穏やかで軋轢の少ない関係になっている。だが、もう少し言えば、日本がどんどん凋落し、韓国はそれなりに経済を伸ばし、
韓国の中で日本への関心が低くなっている。ある意味でのジャパン・パッシングの現象が起きている。
二つの超大国である中国と米国との間で、今は米国に接近して生き残りを模索しているように見える。
盧武鉉政権の頃とは打って変わって、媚米的な姿勢が目につく。
米国を世界基準として崇める傾向は、今は韓国の方が日本より強いのではないか。


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