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蟲づくし・禽づくし・獣づくし・魚づくし

877とはずがたり:2018/11/06(火) 10:29:42
泣けるなあ。。安易に動物を飼ってはいけないしなつく犬や猫は何万年も人間が飼い続けてああ改良されたんだなとつくづく思う。

アライグマ、安易に飼い「流血の日々」 次第に見せた「野生の顔」 それでも手放さなかった8年10カ月
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000001-withnews-soci&p=1
11/5(月) 7:01配信

 10月17日夜、東京都港区の赤坂の繁華街にアライグマが現れ、警察も出動する大騒動になりました。でも、アニメ「あらいぐまラスカル」(1977年放映開始)は、少年との心温まる交流が人々の心を捉え、愛らしいイメージだったはず……。かつて自宅でアライグマを飼育し、流血を繰り返した壮絶な日々を経験。甘い考えで野生動物を飼ったことへの後悔から、本も出した児童文学作家のさとうまきこさん(70)の思い出を聞きました。

8年10カ月間共に暮らしたペー太

 さとうさんの自宅の居間のテーブルの隅には、小さい穴がたくさん空いていました。

 「それ、ペー太がかんだ跡ですよ」

 「ぺー太」はさとうさんが1989年、生後2カ月の時にペットショップで購入した、北米から輸入されたアライグマです。8年10カ月間共に暮らし、最期をみとりました。
「かわいい!」「ラスカルだ!」

 アライグマが容器のポンプを押して液体石けんを出し、器用に手を洗うーー。テレビで当時よく流れていたCMを見て、さとうさんと次男(当時9)は、「かわいい!」「ラスカルだ!」と夢中に。町でアライグマを乗せて走っている車にも出合い、飼いたい気持ちがふくらみました。

 アニメのヒットで、アライグマは北米から大量に輸入され、個人で飼育していた人もいた時代でした。そのアニメは、米国の作家が幼い頃にアライグマと交流した体験をもとに書いた本が原作です。ラスカルは少年のベッドで一緒に寝たりもする、大切な友達として描かれていました。

 実は、それだけではなく、ラスカルは成長して畑を荒らすようになります。少年はやむなくラスカルをおりに入れ、最後は、本来の居場所である森に返すのですが、さとうさんの頭の中から、その部分はすっぽりと抜け落ちていました。
するどい爪で流血、泣く泣くおりに

 ペットショップの店員から「猫ちゃんみたいなものです」と説明を受け、15万円で購入。「ぺー太」と名付け、次男は大喜びでした。「ハクビシンなど、人と違うペットを求める人が増えた時代。私も、珍しい動物を飼っていることに喜びを感じていました」

 哺乳瓶に両手を添えて猫用ミルクを飲み、タバコの煙をつかもうとする。愛らしい姿を見せていたペー太は、次第に野生の顔を見せるようになりました。

 生後4カ月になると、戸棚や扉を開け、中身を出してしまうように。公園で木登りをさせようとして車に乗せた時は、甲高い鳴き声を出して暴れ回りました。

 「子育てと同じように根気よく繰り返し教えれば、きっとしつけられる」と思っていましたが、抱っこすれば暴れ、頭をなでようとすればうなられます。思い切りかまれるので、するどい爪が突き刺さり流血することもたびたび。6カ月を過ぎると、おりに入れざるをえなくなりました。獣医のすすめで、去勢とキバを切る手術もしました。


きれいごとでは語れない生活

 さとうさんは、自分たち人間のせいで遠い日本に移され、自由に動くこともできず、手術までされてしまったぺー太への罪悪感にさいなまれました。そして、甘い考えで野生動物を飼ったことへの後悔にも襲われたといいます。

 ただ、コミュニケーションができないぺー太への思いは、きれいごとでは語れないものでした。さとうさんの著書「ぜったいに飼ってはいけないアライグマ」(1999年、理論社)に、こうつづられています。

 「朝、二階から降りてくると、リビングのドアの前で、思わず足が止まる。ああ、このドアをあけるとペー太がいるんだ、またウンチの始末かと思うと、ため息が出る」

 おり越しにしかスキンシップができず、「おいで」と呼んでも応えてはくれない存在。「情」を感じられず、「どう接していいか分からない状態でした」と振り返ります。

 それでも、手放すことは考えられませんでした。1週間に1度ほどはお菓子で誘い、抱いてお風呂に入れ続けていました。


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