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バイオ燃料・エタノール・新エネルギースレ
1469
:
とはずがたり
:2014/12/30(火) 18:31:39
>>1468-1469
エコパワー
会社概要
沿革
http://www.eco-power.co.jp/enkaku.html
1997年(平成9年)
7月 エコ・パワー株式会社設立 (資本金 4000万円東京都千代田区丸の内)
第三者割当により増資 (資本金 14億4015万円)
9月 第三者割当により増資 (資本金 17億4015万円 (株)荏原製作所が筆頭株主となる)
((株)たちかわ風力発電研究所及び(株)えりも風力発電研究所に資本参加)
出資法人株主(下記 五十音順)
http://www.eco-power.co.jp/gaiyo.html
アサヒビール株式会社 オリックス株式会社 関西電力株式会社
興銀リース株式会社 コスモエンジニアリング株式会社 コスモ石油株式会社
双日株式会社 東京海上日動火災保険株式会社 豊田通商株式会社
株式会社日本経済新聞社 野村ホールディングス株式会社 株式会社フィデアベンチャーキャピタル
丸紅株式会社 株式会社みずほ銀行 みずほ証券プリンシパルインベストメント株式会社
株式会社三井住友銀行 三井住友信託銀行株式会社 森ビル株式会社
小島剛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E5%89%9B
1991年、顧客の家具会社の依頼で商談に赴いたデンマークで、同地の風力発電の実情を目にした小島は、帰国後に風力発電機の販売会社「エコロジー・コーポレーション」を設立、社員2名での起業であったが[10]、日本の風土は風力発電に不向きとの定説がある中で自治体を中心に販売実績を伸ばした[11]。1997年7月には発電事業を行う「エコ・パワー」を設立、荏原製作所や日本興業銀行他15社の出資を受け事業を拡大した。1999年時点で日本に設置された風力発電機のうち4割がエコ・パワーによるものであり[12]、小島は日本における風力発電の第一人者として、後発企業の注視を受ける存在となっていた[2]。1999年には自伝も出版された。
しかしその背後で、小島の影響力は徐々に低下していた。エコ・パワー設立後の1997年以降は大手金融機関の破綻が頻発し、資金調達に困難が生じていたことから、小島は荏原製作所の債務保証を受ける代わりに、エコ・パワーを荏原製作所66%保有の子会社とし、小島は副社長に退いた[13]。同時期、風力発電事業は大手が参入し始めており、エコ・パワーは契約の不備を突かれて既に確保していた発電適地を他社に奪われる、といった問題が頻発していた。こうした問題を法的手続きに出て解決しようとする小島の方針は親会社となった荏原製作所の意向と合致せず、2000年に小島はエコ・パワーの副社長を解任される[2]。
2001年、小島は「オフィス・エコロジー」を設立し、風車事業の継続を試みた(海外の中古風車の販売など)ものの、市場にあわなかったこと、そして資金力の弱い新会社は大手に太刀打ちできず、業界で小島の名が挙がることは少なくなった。小島は体調を崩して入退院を繰り返す状態となり、2007年末、オフィス・エコロジーは閉鎖を余儀なくされた。>[2]。
2010年、「エコロジーマネジメント」を設立する。風力事業を離れ、ビルの省エネビジネスの展開を試みるが、現在として実態あるビジネスに至っていないようである。2012年になり小島は社長から会長となり新業態を目指しているようである。
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