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乗合自動車(バス)総合スレ

74千葉9区:2009/02/01(日) 01:23:18
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000000901250005
不動産事業、深い傷/出直し茨交
2009年01月25日

 茨城交通が社運をかけた戸建て分譲住宅地「フローレスタ須和間」は、JR東海駅のほど近くにある。偕楽園のほぼ倍の28・8ヘクタールに709区画を設け、01年に売り出した。06年に断念し、県北の不動産開発業者に転売されたが、今も大半は売れ残ったままだ。
 「まさか茨交さんが、つぶれるなんて……」
 分譲地に住む30代の女性は顔を曇らせる。「大規模な団地なら、子どもを遊ばせる同年代の子たちが大勢いる」。そう見込んで、夫と子ども2人と移り住んだ。だが、いつまでたっても閑散とし、人が行き交うのはごく一部だ。
      ◇
 ♯恵み豊かな土地に建つ 明日の夢のある住居(す・まい)
 日立市出身の吉田正が作曲した茨交の社歌だ。1番で交通が歌われた後、2番で不動産の事業理念が歌われている。その順番通り、県北、県央地域の鉄道、バスに始まった事業は、やがて不動産へと拡大していった。
 60年代以降、同業他社と同様に経営の多角化を目指し、最盛期、茨交グループは18社まで膨らんだ。スーパーやゴルフ練習場などを展開する中、不動産事業では、廃線後の遊休地などを利用した団地が、売り出し初日に完売したこともあった。
 その集大成とも言える「フローレスタ須和間」に、茨交は数十億円をつぎ込んだ。
 だが、バブル崩壊に伴う不動産不況に加え、販売開始直前の99年、わずか3キロ先の核燃料加工会社JCOで臨界事故が起きた。茨交は風評被害を恐れたが、強気の価格設定で売り出した。結局、5年余りで売れた区画は、わずか1割ほどだった。
 常陽銀行をメーンとする銀行団は対策を急いだ。茨交は05年当時、売り上げが62億円しかないのに、借入金175億円、金利の支払いだけで3億円近かった。銀行団は06年3月、このうち92億円分の債権を放棄。代わりに、堅実に収益を上げていたゴルフ練習場やホテルの売却を迫った。
       ◇
 しかし、負債の圧縮は進まなかった。信用は失墜し、新たな借り入れ先も見あたらない。本業の路線バスに集中したところで、苦戦は明らかだった。
 「破綻(は・たん)原因を作ったのは(父親の)前会長が手がけた不動産事業だ。道義的にも法律的にも、現社長には責任はない」。茨交側の弁護士は23日の記者会見で、05年6月に常務から昇格した竹内順一社長(51)をかばい続けた。
 「再建計画通りの返済が難しいことは、うすうす分かっていた」。竹内社長は会見後、そう告白した。会社再建の3年半は、あきらめ半分だったのか。その間、銀行の債権放棄のほか、湊線の救済などには公的資金が投入されている。創業家の直系として、傷口を広げた責任は軽くない。


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