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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

7367OS5:2023/02/19(日) 12:37:13
◆夢を広げたハイテク機

 そうした状況にあって、未来の成長事業として期待した三菱重工は03年5月、30〜50席のジェット旅客機の開発を決断した。事業の開発投資は総額1500億円と見積もり、国の補助金500億円を取り付けた。

 蛇足だが、国が破格の資金拠出を決断したのは、2001年10月に東京都が「国がやらないのであれば東京都がやる」(石原慎太郎都知事=当時)と、アジアの主要国とともに100席クラスのリージョナル(地域間)旅客機を共同開発しようと、「アジア大都市ネットワーク21」の専門部会として「中小型ジェット旅客機の開発促進検討委員会」を立ち上げたのが刺激になったとの見方もあった。

 三菱は開発準備に取り掛かったが、マーケティング調査をやり直した結果、05年4月に機体のサイズを70〜90席に大型化するとともに、省燃費で高い経済性を持つ三菱リージョナルジェット(MRJ)のコンセプトにまとめていった。

 最も重視したのは、高騰する燃費対策だった。空気抵抗の少ないスタイリッシュな胴体、米国メーカーP&W社が開発した出力に応じてギアを変える高効率エンジンを備え、燃料消費を既存機よりも2割改善。さらに、主翼には騒音を削減するJAXAの開発した新構造を採用し、炭素繊維の複合材を使用するなど、最先端のリージョナルジェット旅客機となった。ちなみに、競合機が同エンジンを採用する新型機計画よりも2年も先行していた。

 このコンセプトは当時の課題に的確に応えるものだったが、スタイリッシュな胴体に拘るあまり搭載量に余裕がなく、貨物どころか乗客の手荷物を収納するのも精一杯だった。また、メディア上では「日の丸ジェット」の言葉が乱舞していたが、装備品の多くは海外メーカーの既存製品。調達数量が月に数個と少ないだけでなく、関係機関の認証が取れていることが重要だからだ。だが、これは三菱の意思は反映しにくく、コスト面でもマイナス要因となっていた。

 08年3月に全日空が25機の購入を決めたことで三菱は正式に事業化を決定。投資資金を3500億円と見込み、本格開発に着手した。4月に開発・製造・販売を目的にした三菱航空機を設立し、11年初飛行、13年納入開始のスケジュールを発表する。販売では米国の地域航空会社などからの受注も入り始め、将来目標は20年間に2500機などという威勢のよい数字も飛び交うようになった。

 当時の三菱は、自社技術への自信にあふれ、自前主義が貫かれていた。完成機ビジネスは未踏の事業であるにもかかわらず、「ジェット戦闘機さえ開発できる技術力をもってすれば、旅客機は十分つくれる」と判断しているかのように見えた。


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