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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

7366OS5:2023/02/19(日) 12:36:47
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb036c99851dbfdf8c1ed70fac9e8b880dcdb47e
国産ジェット、開発中止の波紋 逃した釣果、あまりに大きく
2/19(日) 8:03配信
時事通信
スペースジェット(2020年3月)

 三菱重工業は2月7日、長年にわたって開発してきた初の国産ジェット旅客機「スペースジェット〈SJ〉、旧MRJ)の開発を断念すると発表した。18年間に投資した資金は1兆円に上り、完成予定期日を6回延期。6機の試験機で延べ3900時間の飛行試験を行ったが、商業運航に必要な国の型式証明を手に入れることができなかった。同社の泉澤清次社長は、「型式証明の取得にはさらに巨額の資金が必要で事業性を見通せない」「開発に時間が掛かっている間に、機能や装備品の競争力が低下した」と説明。「準備と知見が足りなかった」と敗因を語ったが、三菱にとっても、日本の産業界にとっても、逃した釣果は、あまりにも大きい。(航空アナリスト 杉浦一機)

【図解】スペースジェット開発の経緯

◆20年前の静かな興奮

 振り返れば、2003年5月に三菱重工が初の国産ジェット旅客機の開発に取り組む意向を表明した時には、日本列島は静かな興奮に包まれた。国民は「国産旅客機YS-11に次ぐ日の丸ジェットに乗れる」と素直に喜んだが、国内航空機業界の関係者には、いよいよ三菱が決断したかと、安堵感さえが広がっていた。

 というのも、国産ジェット旅客機の開発は、航空業界の半世紀にわたる課題とされてきたが、具体的な行動には結び付かなったからだ。YS-11が1971年に生産を終えてから、開発案は何度も浮上したものの、業界挙げての技術と知見の結集と巨額の資金が必要で、リスクも大きかったことから、肝心の事業主体が現われなかった。業界は「YSと同様に国主導で進めるべき」と主張し、通産省(当時)は「民活の時代だから民間主導で進めるべき」とボールの押しつけ合いが繰り返され、ペーパープランの域を抜け出すことができないでいたのだ。

 だが、この間に航空機業界の事業構造は大きく変化していた。戦後の航空機業界は安定した需要で高いシェアを持つ防衛需要を基盤に、徐々に拡大する民需が加わることで産業規模を拡大してきた。だが、世界の冷戦構造の終結に伴い、防衛関連の売り上げは減少に転じる。民需の大部分を占めたのは他国メーカーの下請けである部品ビジネスで、幸運にも恵まれて、売り上げこそ増加したが、納入単価は低く抑えられて収益性が低い上に、継続性への不安も拭えない。業界の安定的発展のためには、自主的に采配できる完成機ビジネスが必要だったのである。

 日本全体の産業も、厳しい状況にあった。かつて世界の市場をリードした家電製品や造船は王座を奪われ、自動車産業も激しく追い上げられた。しかし、航空機は高い技術レベルが必要な産業であり、競業国が少ない上に、部品点数が約100万点(高級乗用車は約3万点)と桁違いに多いこともあって他産業への波及効果は大きく、モノづくりを得意とする日本の次世代産業に相応しい業種だ。

 ただし、航空機事業は、機体の開発と販売やアフターサービスの環境整備に多額の資金が必要になる上に、代金の回収に時間が掛かることから、長期的な事業体制が求められ、新規参入が難しい分野でもある。


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