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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ
7196
:
チバQ
:2021/06/20(日) 18:37:58
数々の貴重な経験、最後はモスクワに立ち寄る!
アンカレッジ国際空港のウェルカムサイン。かつて日本在住の人にとっては、アラスカへの玄関口であると共に、欧米各国へのそれでもあった(写真出典:americanspirit/123RF)。
帰りはブリティッシュ・エアウェイズのボーイング707で、ロンドン・ヒースロー空港から新東京国際空港に向いました。この便では途中で、給油のためソビエト連邦(現ロシア)のモスクワを経由するのです。つまり、西側であるイギリスの旅客機で、「鉄のカーテン」の向こう側である、東側のソ連へ降りることになるわけです。
トランジット(乗り継ぎ)のため、いったんモスクワの空港に降り立ったとき、筆者の気のせいなのかもしれませんが、独特の冷えた雰囲気があったことを記憶しています。用をたすべく化粧室に入ったとき、ドアのカギがかからず扉の下部が開放されている、不慣れな「ヨーロッパスタイル」であることも相まって、「警備員に職務質問されたらどうしよう」「このまま捕まったら帰れないかもしれない」と思わせる雰囲気があり、“雉を撃つ”のもひと苦労です。空港の景色を楽しむ余裕は全くありませんでした。
モスクワであたふたとシップに戻り、日本へ帰ったわけですが、新潟らしき土地が見えたときには、やっと帰れたという(いろいろな意味での)安心感に浸ったことを覚えています。ちなみに、当時のソ連の空港はとても撮影できる雰囲気ではありませんでしたし、JAL(日本航空)が公開している現地情報によると、現在も、ロシアの空港での写真撮影は禁じられているようです。
このツアーに参加したことで、希望にあふれて明日からの学業に努めるというより、諸外国、特に欧米の航空産業の実情を目の当たりにして、しばらくは我が国の置かれた状況と比較してあまりにも寂しく感じられ、茫然としていたことを想い出します。
そのおかげで、日本で航空関係の博物館に関わりたいと考えるようになったので、少なくとも人生の岐路に立ったということでしょうか。
種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
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