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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

7094チバQ:2020/10/26(月) 17:10:27
https://news.yahoo.co.jp/articles/51dc1b63334917bdd0ff12ea52b25badfce77450
ANA5千億円赤字を生んだ「行きすぎた拡大路線」と「歪んだ航空行政」 コロナ禍の傷口広げた〈AERA〉
10/26(月) 16:00配信
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ANAがハワイ路線に導入した総2階建ての超大型旅客機エアバスA380。巨額の投資と高いコストがコロナ禍の傷口を広げる結果になった (c)朝日新聞社
 日本航空の破綻から10年。今度はANAが、コロナ禍で巨額赤字に陥る見通しとなった。ANA自身の行きすぎた拡大路線と歪んだ航空行政が危機を増幅させている。AERA 2020年11月2日号で掲載された記事を紹介。

*  *  *
 ANAホールディングスが2021年3月期決算で5千億円超の最終赤字を計上する見通しになった。コロナ禍で国際線の9割が運休するという未曽有の逆風が招いた危機だが、一方で同社がここ10年、急拡大を目指すあまり自ら「危険空域」へと操縦桿を切り続けていたことも否定できない。

■追い続けた「日航超え」

 ANAの前身は、終戦から7年後に2機のヘリコプターで創業した日本ヘリコプター輸送。今もANA(全日本空輸)の便名に使われる「NH」はその名残だ。やがて旅客機の運航に進出したが、1986年までは一部のチャーター便を除き国内線専門で、より高額の運賃が見込める国際線は長年、日本航空の独壇場だった。

「国際線参入が認められるまで、一体何回、運輸省(現国土交通省)の航空局に国際線参入のお願いにいったことか。幹部とアポを取っていたのに1時間半も待たされ、部屋から出てきたのは日航の社員。なのに我々のお願いにはけんもほろろで、ほんの10分で追い出された。あの頃の悔しさは絶対に忘れない」

 筆者が航空業界を担当していた2010年代前半、ANA幹部はそう話して目をぎらりと光らせた。国際線への渇望と日航への激しい対抗心は、ANAという企業のアイデンティティーと言ってもいいほどだった。

 86年に初めての国際線定期便が認められてからも、ANAはあくまでも「2番手」の存在であり続けた。

 当時、国際線が発着する成田空港は滑走路が少なく、運用時間も限られていたため世界有数の過密空港だった。新参者のANAは国交省から有利な時間帯の発着枠をなかなか与えられず、日航との差はいっこうに縮まらなかった。

 当時の国交省が日航重視を続けたのは、長年の実績に加え、日航と自民党政権の蜜月関係の影響も大きい。

 ドラマ「半沢直樹」では、与党の幹事長の地元に「伊勢志摩空港」が建設され、大規模なリストラ計画が進む中でも同空港への路線だけは撤廃を免れるというエピソードが描かれる。ここまで極端な例は希としても、十分な需要があるかどうか定かではない空港が各地に建設され、「政治の意向」を受けた日航が羽田や伊丹とそれらの空港を結ぶ国内線を運航する、という構図が数多く生み出されてきた。

 政治家は地元に路線を引っ張って有権者にアピールし、日航は収支が厳しい路線を引き受ける見返りに国際線のドル箱路線を運航する。そんな持ちつ持たれつの関係が続く航空業界で、ANAは「万年2位」に甘んじるしかないと思われていた。


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