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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

677千葉9区:2009/08/12(水) 22:49:17
http://www.ibaraki-np.co.jp/series/sky/page05.htm
未来への滑走・茨城空港開港まで1年<1> 整備方針変遷
2009/03/27(金) 本紙朝刊 総合1面 A版 1頁



首都圏需要担い手に
 助走路は決して平たんではなかった。開港というテークオフへ向けて、加速段階に入った茨城空港。航空自衛隊百里飛行場を民間共用化し、海外への扉を県民の身近な地に開く準備期間には、紆余(うよ)曲折があった。
 空港候補地の選定に始まり、国内空港としての位置付けや施設整備計画の変更−。長い道のりを経て茨城空港はいま、「実質的な首都圏第三の空港」として、飛び立とうとしている。

 茨城空港整備へ県が始めの一歩を踏み出したのは今から四半世紀以上も前、一九八一年までさかのぼる。この年の地方空港基礎調査を皮切りに、九一年の空港適地概略調査、九三年の百里飛行場民間共用化調査などを矢継ぎ早に実施した。
 航空需要の増大に対応するため国が首都圏の新規空港建設を検討し始めたのに合わせ、県の取り組みが進んだ。当時を知る県幹部の一人は「そのころ県では、『常陸平野整備構想』というようなものもまとめ、その中で空港建設も打ち出された。岩盤の強い鹿島灘沖が候補地に挙がったり、県北山間部を切り開いて空港にしようというようなアイデアもあった」と振り返る。
 整備費の問題と首都圏の空が既存空港の空域で占められていたことから、「百里飛行場の民間共用化が最善」との判断に落ち着き、県は九五年、「百里飛行場民間共用化構想」を発表。翌年、第七次空港整備五カ年計画に「百里飛行場の民間共用化」の文言が盛り込まれ、九九年度に調査費、二〇〇〇年度に事業費が予算化された。
 県は当初、茨城空港の性格を「県民空港」とし、県民の利便性向上や地域振興へ向けた整備方針を打ち出していた。しかし、〇七年の国の交通政策審議会により、「首都圏の航空需要の一翼を担う空港」との意味合いが付加された。その結果、県はターミナルビル設計などを変更、国内線のみならず国際線にも対応できる施設とし、特に、海外の格安航空会社誘致のため低コスト化も図った。

 こうした変遷の背景にあるのが、「航空の自由化」と呼ばれる国の規制緩和。航空機の乗り入れ地や運賃をめぐる規制が取り除かれたため、海外の航空機が政府間交渉を経ずに地方空港に路線開設できるようになった。一方、路線廃止も自由になった。国内航空会社による不採算路線の廃止の波が、相次いで地方空港を襲っている。
 韓国大手のアシアナ航空から就航表明を得た茨城空港だが、国内線開設の先行きは全くの不透明。「国内線誘致はかなり厳しい状況で、やるべきことはまだまだある」(県空港対策課)。助走の最終段階で、茨城空港はもう一つ大きなヤマを越えなければならない。

 茨城空港の開港まであと一年。これまでの取り組みを振り返るとともに、残された課題に焦点を当てる。

【写真説明】
茨城空港のイメージ図。中央が旅客ターミナルビル。滑走路は駐機場の左上部


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