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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

6318チバQ:2018/01/25(木) 20:16:10
◇一問一答

 森下一男村長との主なやりとりは次の通り。

 --世界自然遺産登録と空港建設が両立しない場合は。

 両立しないということはない。(建設候補地は)遺産区域ではなく、国立公園法にも抵触しない。沖縄・石垣島での空港建設をめぐり、サンゴ保護のために行った努力を現地で見てきた。取り返しのつかないものを壊してまで(建設する)ということは、誰も望んでいない。

 --以前のアンケートは、世界遺産登録という節目の前に実施した。再度実施する必要性はないか。

 選挙のたびに(建設の意向を)伝えている。具体案を示すのが政治家としての責任。具体案について、村民に限らず、広く意見を拝聴したい。

 --昨夏開かれた航空路協議会は7年ぶり。なぜこの時期に。

 航空路開設は、1968年の返還以来続いている村民の悲願だ。都心との距離は約1000キロあり、自衛隊による救急搬送には至らない患者やけが人の通院など、村民生活の安心につながる。だが、地形は険しく、滑走路確保も難しかった。最近、短い滑走路でも長距離飛行できる航空機材も出てきた。都には、返還50周年となる今年6月をめどに、一定の方向性を出すよう要望している。

 --現在検討中の案では1日1便で40人程度。採算のめどは。

 公務員をはじめ、村民の出張や通院などで十分なニーズはある。ただ、この規模の空港運営については国や都と勉強していかないといけないと思う。

 --自然に配慮がない観光客が押し寄せる懸念も指摘されている。

 航空路はあくまで村民の足。観光は今後も船をメインにしたい。観光客には「竹芝桟橋を出た時から小笠原への旅は始まっている」と言ってもらっている。自然は村の財産。それに影響がある形で人を招くことはできない。自然を保護しながら利活用していきたい。

 ◇空港建設をめぐる小笠原諸島の歴史

1968年6月 日本に返還。小笠原村設置

 72年4月 東京-父島間に定期船就航

 89年2月 都が兄島に滑走路1800メートルの空港計画発表

 96年2月 新種の動植物発見などを受けた環境庁(当時)などの反対で都が兄島案を白紙に

 98年4月 都が父島南部の時雨山を新たな空港候補地として決定

2001年11月 時雨山での建設断念

 16年6月 世界自然遺産登録5周年記念イベントで丸川珠代環境相(当時)が「空港建設に協力していく」と発言

 17年7月 都が協議会を7年ぶりに開催。世界遺産区域外の父島「洲崎地区」での滑走路1200メートルの空港計画案発表


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