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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

5751とはずがたり:2016/03/29(火) 18:49:51
>>5750-5751

 一番多いのが圧力隔壁主因論への疑問です。もしそうであれば客室に霧が立ちこめるなどの急減圧を示す現象が起きるはずなのに、そうした形跡はなかったという指摘です。仮に圧力隔壁主因論が不成立に終われば、原因は「なぜ垂直尾翼が破損したのか」の説明がつきません。証明するために必要な垂直尾翼がほとんど回収されておらず、原因究明に欠かせない努力が足りないという声もあります。

 毎日新聞2000年8月6日付朝刊は「日航機墜落事故の資料を廃棄、『保存期間切れた』--運輸省事故調、昨年11月に」という記事を発表しています。それによると航空事故調査委員会が、事故原因の報告書作成に用いた資料を廃棄していたとのこと。01年4月の情報公開法施行を控え廃棄したと記事は推測しています。

 廃棄されたのは日本航空など関係者の聴取メモや目撃者らの口述調書、金属疲労の分析結果、ボイスレコーダーの解析結果などで、他の事故関連資料も含め合計で1トンを超えるとみられます。事故調事務局によると、関連資料の保存期間は10年と文書管理規程に定めており、廃棄自体は規程には触れないと。これだけの事件のいわば「証拠」が消されているとなると何かを隠ぺいしているのではないかと勘ぐられても仕方ありません。

 法廷での真相解明もできませんでした。88年12月、群馬県警が日航、ボーイング社、運輸省の計20人を業務上過失致死傷容疑で前橋地方検察庁に書類送検しました。別途、遺族側が告訴・告発した者を含む31人は89年11月全員不起訴。最大の理由はボーイング社からの事情聴取ができなかったからとしています。アメリカの場合、航空機事故などが起きると再発防止のため、摘発より司法取引して真実を明らかにするのが一般的で、その制度のない日本では難しかったのです。

 検察の不起訴処分が納得できない時に審査を申し立てられる機関である検察審査会は2人を「不起訴不当」と議決しました。検察も再捜査をしたものの、90年8月に公訴時効(5年)が成立してしまいます。

遅れた救助、墜落から16時間後

 事故発生の8月12日夜から翌日にかけて、当時群馬、長野、埼玉の各支局にいた記者や地方紙記者は情報の錯綜ぶりを鮮明に覚えています。19時ごろに日航が管制のレーダーから123便が消えたのを機に対策本部を置き、同45分には運輸省も対策本部を設置します。当初の目撃情報が多かった長野県の警察本部が対策本部を設置したのが5分後。「どこに墜落したのか」と3県の記者が右往左往し、日航側の記者会見は20時36分の段階で「現場は確認できない」と発表します。埼玉県も秩父地方ではないかという報告があって現場に向かいました。22時35分には日航の対策本部が「長野県」という見通しを発表します。

 「このあたりではないか」という場所は険しい崖や岩場で山また山。到底深夜に立ち入るなど不可能な状況でした。御巣鷹山の尾根と分かったのが墜落から約10時間を過ぎています。今でこそ有名な地名ですが、当時は地元のごくわずかしか知らない山でした。しかも正確にいうと現場は御巣鷹山そのものではなく「御巣鷹山付近」です。事故後に「御巣鷹の尾根」と呼ばれるようになりました。それくらい分かりにくかったのです。

 最初の頃に3県の中で最も可能性が薄いとみられていた群馬県と分かっても難航します。3県の警察本部や応援を求められた警視庁、航空・陸上自衛隊から米軍の協力まで得て必死の態勢で臨むも群馬側の目撃証言がほとんどなく、事故現場付近に人家もなく、大変険しい地形で登山道すら存在しないなど悪条件が重なり、救助が遅れました。生存者の救出に長野県警山岳救難隊が関わっているのも上記のような経緯からです。

 もう少し早く救助できたら助かる命もあったのではないか。最終事故調査報告書には死因を「即死」か「即死に近い」と分析しています。一方で、生存者の証言では墜落後しばらくは生き残っていた人がいたとしています。

■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】


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