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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

5750とはずがたり:2016/03/29(火) 18:49:32
>毎日新聞2000年8月6日付朝刊は「日航機墜落事故の資料を廃棄、『保存期間切れた』--運輸省事故調、昨年11月に」という記事を発表しています。それによると航空事故調査委員会が、事故原因の報告書作成に用いた資料を廃棄していたとのこと。01年4月の情報公開法施行を控え廃棄したと記事は推測しています。
官僚の隠蔽主義は怒りを感じるなぁ。。

日航機墜落から30年 残された課題と謎 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
https://thepage.jp/detail/20150811-00000011-wordleaf
2015.08.12 07:00

 8月12日に日航機墜落事故から30年を迎えます。単独の航空機事故としては世界最悪の被害を出したこの事故は、死者数もさることながら歌手の坂本九さんが犠牲になったり、奇跡の生存者4人の救出劇があったりして報道も過熱しました。「ボイスレコーダー」や「ダッチロール」といった航空用語が頻繁に伝えられた事故でもありました。30年という節目に際して、犠牲者の方々のご冥福を祈りつつ、事故の概要をあらためて振り返ってみます。なお事故の様子については1987年6月に発表された旧運輸省(現在の国土交通省)の航空事故調査委員会(同運輸安全委員会)最終事故調査報告書に依っています。

単独事故では世界最悪の大惨事

《離陸12分後に圧力隔壁が破損》
 1985年8月12日午後6時12分。乗員乗客524人を乗せた日本航空123便が定刻より12分遅れて羽田から大阪に向かって離陸しました。機体は米ボーイング社の開発した747SR-100型(愛称ジャンボ)。主に日本の航空会社向けに作られた500人以上が乗れる短距離超大型航空機です。

 12分後、相模湾の上空で機内の気圧を一定にするための圧力隔壁が破損し、客室内の高圧空気が尾部へと噴き出して垂直尾翼の半分を破壊しました。これで機体の安定性が保ちづらくなりました。さらに機体尾部の上位に配管されていた油圧系統4本も破断します。これで操縦系統のコントロールがほぼ不可能となりました。わずか1分から1分半のできごとでした。

 垂直尾翼を失ったため、機体はちょうど「8」の字を描くような不安定な蛇行航行に陥りました。横すべりと横揺れが左右に繰り返されるダッチロールです。機長を初めとする航空乗務員は事故原因が分からない中、破壊されていなかった4基のエンジンを必死で操ります。急降下や急旋回など打てる手をすべて打った後、午後6時56分ごろ、群馬県の御巣鷹山付近に墜落しました。離陸からわずか50分弱の出来事でした。

《奇跡の4人の生存者》
 死者は乗務員15人で乗客505人の計520人。生存者はわずか4人という大惨事でした。日本の航空史上最悪であると同時に、世界の航空事故史でも単独では最悪です。なお複数機による史上最多の死者数を出したのは、1977年3月にテネリフェ空港(スペイン領カナリア諸島)の滑走路上でボーイング747型機2機が衝突した583人です。

 後に述べるように悪条件が重なって、当初は墜落現場の特定すら難航しました。生存者が確認できたのは翌13日午前10時以降。長野県警山岳救難隊、陸上自衛隊、地元消防団などによってなされました。うち乗客3人(あとの1人は乗務員)は、激突の損傷や火災を比較的免れていた胴体中央部に座席がありました。とはいえ皆重傷です。

事故原因とさまざまな憶測

 これまで引用してきた通り、航空事故調査委員会の報告書では圧力隔壁が破損を遠因としています。金属の疲労亀裂が進行して圧力隔壁が破壊されたと。事故機は1978年に伊丹空港で離陸の先に尾部が滑走路へ接触した「しりもち事故」を起こしていました。その修理に当たったボーイング社の修理ミスが事故を引き起こした原因であり、見逃していた日航などの管理も「不適切な点があった」と明記しています。修理の指示通りに作業が行われなかったため強度が7割程度に止まり、その後の飛行で疲労亀裂が進んだのが事故の引き金になったと結論づけました。ボーイング社も報告書の指摘を認めた上で陳謝しています。


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