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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

5137チバQ:2015/02/17(火) 22:44:49
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015021502000055.html
<岐路の翼>(上) 路線拡大 中部の模索
各国の旅客機が並ぶ中部国際空港の駐機場=愛知県常滑市で、本社ヘリ「まなづる」から(野村和宏撮影)
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 中部国際空港(愛知県常滑市、愛称セントレア)が十七日に開港十年を迎える。二〇〇五年の愛・地球博効果で順風なスタートを切ったものの、リーマン・ショックなどの荒波にもまれてきた。最近は円安による訪日外国人客の増加で復調の兆しも。中部の「空の玄関口」がさらに飛躍するための課題を探る。

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 ターミナル北隣の「第一セントレアビル」。空港会社の営業部隊が詰める五階フロアに一月十五日午後、一本の電話が入った。

 「クアラルンプール線を二月中旬から運休する。搭乗率低迷が理由だ」。路線誘致担当の尾頭嘉明取締役(59)が取った受話器の相手はマレーシアの格安航空会社(LCC)、エアアジアXの日本担当者だった。

 予兆はあった。一四年三月の就航時に一万一千円だった最低運賃を、エアアジアXは一月に入り十万円以上に引き上げた。「通常はありえない価格設定」(空港会社幹部)で、事実上の予約受け付け停止だった。昨年末に親会社のエアアジア機がインドネシア沖に墜落する事故も影響した。

 空港会社がエアアジアXへのセールスを始めたのは〇八年。マレーシアに「名古屋おもてなし武将隊」の「徳川家康」を連れて行ったことも。ちょんまげ姿の河村たかし名古屋市長と、甲冑(かっちゅう)を着込んだ家康がエアアジアX社内を練り歩き、「名古屋はええところじゃ」とアピールした。

 六年がかりで実ったクアラルンプール線だが、就航から一年足らずでの運休。「LCCは決めるのも早ければ、引くのも早い」と尾頭氏は嘆く。同じLCCの旧エアアジア・ジャパン(現バニラ・エア)も半年で中部から撤退し、LCC専用ターミナルの増設計画は凍結されたままだ。

 初代社長にトヨタ自動車出身の平野幸久氏(76)=現顧問=を迎え、中部空港は初の民間運営空港としてスタート。徹底したコスト削減で、七千六百八十億円と見積もった事業費を千七百三十億円削る。開港直後からパリやサンフランシスコといった欧米への長距離路線が相次いで就航した。

 しかし、景気後退で花形路線は消える。中国や韓国を結ぶ路線も政治問題を背景に日本人客が減った。

 空港会社の川上博社長(65)は「あちらがだめならこちらで。セールスの相手を広げないと」。目を付けたのが訪日外国人の増加が著しい東南アジア。日本航空のバンコク線復活、フィリピン航空のセブ線就航など徐々に成果も挙げている。

 これらの旅客便だけでなく、貨物便も空港の生命線だ。航空宇宙分野に力を入れる地元経済界が成長を支える好循環も生まれる。その象徴が愛知県内で主要部品を製造する米ボーイングの中型機787。専用輸送機「ドリームリフター」が飛来し、長さ三十メートルの主翼などを積み込み、米国の組立工場に空輸する。

 ドリームリフターを「僕の専用機」と呼ぶのはボーイング日本法人のジョージ・マフェオ社長だ。かつて787の部品供給網を担当し、思い入れは強い。787の増産に伴い、飛来回数も月十七回から五年後は二十四回に増え、空港会社の着陸料収入もアップする。

 旅客、貨物を問わず、路線の開拓は「需要の創出に尽きる」と川上社長。セールスの継続や施設の利便性向上など、地道な活動を積み重ねるしかない。

◆旅客便数最多は2007年夏の週351便

 中部空港の国際線の旅客便数が最も多かったのは、開港三年目の二〇〇七年夏の週三百五十一便だった。貨物便も〇五年冬と〇六年夏に週五十二便あった。

 だが、リーマン・ショック(〇八年)や新型インフルエンザの流行(〇九年)、日本航空の経営破綻(一〇年)の影響を受け、旅客は一時、週二百五十八便に縮小。貨物も週十二便まで落ち込んだ。

 最近は景気回復に加え、訪日外国人客の伸びが著しい東南アジア路線の誘致に重点を置いたのが奏功し、十五日現在で旅客は週二百九十五便まで回復。貨物も全日本空輸や独大手DHLエクスプレスの誘致で週二十八便になっている。


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