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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ
5090
:
チバQ
:2015/01/30(金) 00:32:22
http://toyokeizai.net/articles/-/59259
スカイマーク西久保氏は、どこで間違えたか
航空業界に挑んだIT経営者、万策尽きる
武政 秀明 :東洋経済オンライン編集部 2015年01月29日
独立系エアライン、最後の牙城がついに力尽きた――。国内航空3位のスカイマークは1月28日、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。負債総額は約710億円に上る。
スカイマークはLCC(格安航空会社)との競争激化や円安進行に伴うコスト増、さらにはエアバスから購入する予定だった超大型旅客機「A380」の代金支払いをめぐるトラブルなどにより、現預金が2014年9月末に45億円まで枯渇(2014年3月末は70億円)。資金繰りに窮していた。
最近では全日本空輸(ANA)や日本航空(JAL)との共同運航を前提に増資によって事態打開を図るとの観測もあったが、最終的には自力での再建を断念。投資会社インテグラルの支援を得て再生を目指すことになった。
同日、西久保愼一社長は辞任。後任には取締役だった有森正和氏が就き、取締役会長だった井手隆司氏が代表取締役会長に復帰した。
航空自由化を象徴する第3極として1996年に設立され、2012年3月期には過去最高となる77億円の純利益をたたき出したスカイマーク。1月28日夜、一報を受けて報道陣は東京・羽田空港にある本社前に殺到したが、記者会見は開かれなかった。1月29日に開かれる予定の会見で経営陣から真相が語られる見込みだ。
最高益から3年たたずに破綻
それにしても、スカイマークが最高益更新から3年も経たないうちに、奈落の底に転がり落ちた原因は何なのか。西久保愼一前社長は何を間違えたのか。事態を整理しておきたい。
時計の針を半年前に戻そう。2014年7月27日、東京・羽田空港から程近いスカイマーク本社。当時社長だった西久保氏は、エアバスから届いたファクスを受け取った。「A380購入契約の解除を通知します」。
さかのぼること3カ月以上前の2014年4月から、西久保氏はエアバスと交渉を続けていた。A380はエアバスの2階建て超大型旅客機。スカイマークは6機購入する契約をエアバスと結び、2014年10月から2019年12月まで順次納入される予定だった。これで国際線への進出を果たし、まずは成田─ニューヨーク線を就航する計画を進めていた。
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スカイマークはA380に6機合計で約1900億円を投じる計画で、2014年3月までに約265億円の前払い金を段階的に払ってきた。2015年3月期は、一気に500億円以上を支払うピークを控えていた。
ところがスカイマークは、業績急悪化で2014年3月期は5年ぶりの赤字に転落した。期末現預金は70億円と1年前の231億円から急減。2014年4月には前払い金8億円を払えなくなった。
エアバスの強制措置が引き金
これを受けてスカイマークはA380の4機の購入を解約したうえで、すでに製造に入っている2機の導入時期についても先延ばしにすることをエアバスに打診したが、エアバス担当者は「大手航空会社の傘下に入るのが契約変更を受け入れる条件。キャンセルする場合は、巨額の違約金を支払ってもらう」と通告した。
詳細は不明だが、エアバスはスカイマーク筆頭株主の西久保氏が保有する約30%のスカイマーク株の一部または全部の放出を迫ったのかもしれない。大手航空会社の後ろ盾があれば、スカイマークの信用力が補完されるとの思惑があったのだろう。
西久保氏の返事は「ノー」。独立経営を貫き、日本の“空”に価格破壊を起こしてきたという自負があった。スカイマークが大手の軍門に下る。「それだけは避けたい」という思いがあったが、業を煮やしたエアバスは強制措置に踏み切った。違約金交渉はいまだ決着しておらず、これが経営の重しになるとともに破綻の引き金になった。
スカイマークは過去に経営危機を何度かくぐり抜けてきた。2000年代初頭の黎明期にも赤字続きで債務超過となり、存続が危ぶまれる事態に直面したことがある。その救世主となったのが、ほかならぬ西久保氏だった。
スカイマークの初就航は1998年。当時は規制緩和で航空ベンチャーがブームとなり、北海道国際航空(現AIR DO)やスカイネットアジア航空(ソラシド エア)、スターフライヤーなどが次々と参入した。日本の空に本格的な価格競争が起きると期待されたが、実際には集客力が高いドル箱の羽田空港発着枠を大手に握られ、露骨な価格競争も仕掛けられた。
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