したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

4367チバQ:2013/05/15(水) 00:30:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130514-00000108-mailo-l12
開港35年・岐路に立つ成田:/6止 立ち退き根拠は農地法 原発風評が農家を圧迫 /千葉
毎日新聞 5月14日(火)12時28分配信

 「35年というのは、空港会社の節目。こちらにはこちらの生活があり、関係ないなあ」。成田市天神峰の空港用地内の農地。市東(しとう)孝雄さん(63)は、農作業の手を休めながら語った。オクラやセロリ、キュウリなど夏野菜の植え付け時期で忙しい。
 3月。B滑走路(2500メートル)に西側誘導路が完成し、市東さんの自宅と畑は2本の誘導路に完全に囲まれた。「爆音と振動が増えた」と話す。
 ■「金の問題じゃない」
 用地内に住み、農業をしながら空港反対運動を続けた父東市(とういち)さんが99年に84歳で亡くなり、市東さんは県内の飲食店を退職し、跡を継いだ。
 03年に意外なことが分かった。04年の民営化で発足した成田国際空港会社(NAA)の前身である新東京国際空港公団が88年に、旧地主2人から市東さんの農地を買収していたのだ。旧地主は売却後も、市東さん父子から土地の賃料を受け取る不自然な状態も続いていた。市東さんが借りる二つの畑のうち、南台の畑(地図参照)があるために、02年供用のB滑走路誘導路は「への字」形に曲がっている。市東さんに立ち退きを求めて拒否されたNAAは、県に農地法に基づく賃貸借の解約許可を求めた。
 県はこれを許可したが、市東さんは07年に取り消し訴訟を起こし、NAAは翌年、市東さんに明け渡しを求めて提訴した。7月29日、千葉地裁で判決を迎える。もし、判決がNAA側の主張を認めて仮執行宣言を付ければ直ちに強制撤去が可能になる。農地を強制的に収用すれば、開港前年の77年末以来の事態となる。
 90年代前半の空港問題シンポジウム・円卓会議を踏まえ、旧公団は土地収用法による強制収用を放棄したが、市東さんは「土地収用法を使えないから、今度は農地法を持ち出した。アパートの大家が店子(たなこ)に立ち退きを求めるのとは訳が違うのに」と批判する。
 NAAが示した補償は約1億8000万円で「市東さんの150年分の年収に相当する」と主張するが、市東さんは「お金の問題じゃない。もらったほうが楽だが、そういう生き方をしていない」と反論する。判決の対象は約7300平方メートルで、市東さんの耕作地の5割以上を占め、農機具置き場や育苗ハウスの撤去も含む。「うちは完全無農薬。新しい農地に移ったとしても土から農薬が抜けるまで3〜5年は何も作れない。敗訴なら生活を維持できない」
 ■分裂30年
 今年は、三里塚・芝山連合空港反対同盟が分裂(83年)してから30年でもある。空港用地内の所有地名義を大勢の人に分割し、買収を難しくする一坪共有地の再分割を推進する熱田一行動隊長と、否定的な北原鉱治事務局長(91)の両派に分かれた。87年に北原派から旧小川派が分かれ、運動は3分裂。運動から05年に引退した熱田さんは今年1月、93歳で死去した。若い支援者に連帯模索の動きもあるが、旧熱田派の柳川秀夫代表世話人(65)が「手法が違う」と話す通り、溝は深い。
 NAA資料によると、用地内に住む農家は、北原派の市東さんと旧小川派の1軒のみ。北原派1軒、旧熱田派1軒が用地外から所有農地に通う。反対運動を通じ、各農家は無農薬栽培による産地直送で消費者と「顔の見える関係」を志向した。だが、2年前の東京電力福島第1原発事故後、農産物の放射性物質汚染を心配して契約をやめた消費者も多く、風評が農家経営を圧迫している。「安心、安全にこだわって無農薬を選んだ長年の客が離れるのは残念。検査で安全だったものしか出荷していないのだが」と、ある農家は嘆く。
 激変する成田空港の、また別の現実だ。(早川健人、味澤由妃が担当しました)=おわり
5月14日朝刊


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板