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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

3580チバQ:2012/05/06(日) 20:17:46
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20120425ddlk40010344000c.html
北九州市50年ものがたり:第3部・交通と街(続編)/2 新空港開港へ課題次々 空域調整に市長奔走 /福岡
毎日新聞 2012年04月25日 地方版

 「予算が付いていない」。90年暮れ、91年度予算の大蔵原案に新北九州空港の調査費が見送られたことは北九州市に衝撃を与えた。「夏の概算要求では実施調査費5000万円が計上されていたので安心していた」と市長だった末吉興一さん(77)=国際東アジア研究センター理事長=は振り返る。

 当時の防衛庁と運輸省との間で空域調整が済んでいないことが理由とされた。20キロ北に海上自衛隊小月航空基地(山口県下関市)があり「小月は経験の少ないパイロットが練習機に乗るので、空域からはみ出ることもあるとの防衛庁の言い分だった」と末吉さん。

 運輸省は新北九州空港など全国で数カ所、自衛隊基地との空域調整問題を抱えていた。防衛庁は「新北九州空港の例が既成事実化され、なし崩しになるのでは」と危機感を募らせ、新空港の滑走路を東西に造れば空域に引っかからないと主張。だが騒音問題などから運輸省は南北案にこだわった。

 旧建設省出身の市長が動いた。「運輸省の次官は大学の同級生、防衛庁の次官も研修の時に一緒で仲がよく、2人の間を私が走り回った」と末吉さん。「防衛庁は次第に空域が狭められることを嫌がっていた。互いの本音を伝えることで調整は前に進んだ」

 空域調整で2年足踏みしたが92年8月、運輸省案通り「南北方向に滑走路建設」で奥田敬和運輸相と宮下創平防衛庁長官との協議が決着した。

 新北九州空港計画の歴史は71年、北九州市が国に新空港建設を要望したのが始まり。すぐに運輸省第4港湾建設局が新空港試案を作成し77年、関門海峡のしゅんせつ土を処分する苅田沖土砂処分場の建設が始まった。

 「海上公園を造るとの名目だったが誰も信じていなかった」と末吉さん。「土砂処分場を飛行場にする計画で、71年当時の山下博通・第4港湾建設局長が知恵を出した」。94年、土砂処分場は正式に「新空港整備事業」に位置づけられ、着工した。

 漁業補償交渉や空域問題が決着し、残る課題は航空会社の参入。旧空港に定期便があった日航は期待できたが、他社から良い返事が来ない。そんな中、神戸市から北九州市に本社を移した新規航空会社「スターフライヤー」が北九州−羽田間に1日12往復の路線を決定。地元企業が出資し、県や市も補助金を出して支援した。

 新空港は当初、05年10月開港予定だったが地盤改良工事が難航。06年3月の開港を目指して準備を進めた。

〔北九州版〕


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