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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

334千葉9区:2009/02/17(火) 21:32:32
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20090217-OYT8T00050.htm
離陸へ〜岩国基地民間空港(上)


 1988年秋。岩国市の中華料理店で、経済人や県議ら6人が丸テーブルを囲んでいた。話題は地域の活性化。バブル景気に沸く都会とは違い、市の中心商店街はすでに客足が減り始めていた。一人がふと漏らした。「米軍の飛行場をもう1回、活用できんかなぁ」

 米海兵隊岩国基地は52〜64年、民間空港として使われていた。新婚旅行中のマリリン・モンローが降り立ったこともある。



 「空港があれば、起死回生できるはず」「やってみよう」。話はすぐにまとまった。そして、20年余り。6人中最も若く、推進団体の会長に就いた柏原伸二さんは58歳になった。鬼籍に入った人もいる。

 再開方針を河村官房長官が発表した16日。柏原さんは「岩国市政始まって以来の明るいニュース。これまで何度も決まりかけては通り過ぎていき、決定を聞くまで不安だった。本当に長かった」と振り返った。

     ◇

 「逆立ちしても無理だ」。滑走路の軍民共用化を熱っぽく訴える柏原さんたちに、行政は冷めた見方をしていた。「論より証拠」と、チャーター機を飛ばすことを目標にしたが、広島防衛施設局(現・中国四国防衛局)の担当課長は「米軍が許可をするわけないでしょう」とつれない。

 そこで、基地の司令官に直談判し、同意を得た。92年7月、186人を乗せた民間機がハワイへ向けて離陸。96年、99年とチャーターフライトを続けた。行政側も本腰を入れ始め、2000年に県が初めて国へ早期実現を要望したが、国の動きは鈍かった。

 民間定期便を1日4便就航させる――。05年10月。日米両政府が合意事項を発表したのは、同施設局が基地への空母艦載機移駐計画を市などに伝えた翌日だった。「『アメとムチ』のつもりか」。保守系市議からそんな反発が上がるほど、絶妙のタイミングだった。「我々の悲願が政治に利用されるのか」との地元経済人の予感は当たる。

 民空再開は在日米軍再編の最終報告に盛り込まれ、閣議決定された。移駐とのセット。井原勝介市長(当時)が移駐反対を貫く中、「再編を認めたとき、初めて政治案件としてそじょうにのぼる」(県幹部)とされた。閉塞(へいそく)感が広がったが、移駐問題を最大の争点にした昨年2月の岩国市長選で状況は一変。容認派が推す福田良彦市長が誕生し、4月には、衆院山口2区補欠選挙の応援で来県した福田首相(当時)が実現を約束した。

     ◇

 「経済界は『交通網の整備という面ではいい』と利点を強調するが、それだけではないはず」。市中心部で15日、署名活動を行っていた津田利明さん(62)が手を止めた。県と市が国に買い取りを求めている愛宕山宅地造成事業跡地。国は移駐に伴い必要となる米軍住宅の有力候補地と位置づけ、浜田防衛相は「ぜひ買い取りたい」と明言しているが、こうした方針に反意を示す活動だ。

 米軍再編という大きな波に翻弄(ほんろう)された民空再開。米軍との調整が必要な就航時間帯など課題は残る。「民空は、市民に空母艦載機の移駐を受け入れさせ、米軍住宅建設を認めさせるためのごまかしに使われるのでは。国の姿勢は信用できない」。津田さんがつぶやいた。

     ◇

 「地元の悲願」の民間空港が12年度に再開される。移駐問題も絡んで、基地の街には期待と不安が交錯。その思いをみつめ、今後の展望を探る。

(2009年2月17日 読売新聞)


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