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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ
3068
:
荷主研究者
:2011/07/10(日) 21:53:22
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070212010008-n1.htm
2011.7.2 12:00 産経新聞
火炎瓶、鉄パイプ…成田闘争は過去の遺産 歴史館が開館
反対住民や支援グループが実際の闘争で使用したヘルメットや鉄パイプ、火炎瓶=6月30日、千葉県芝山町の「空と大地の歴史館」
成田国際空港(千葉県成田市)の建設に反対し、約30年間に渡って緊張状態が続いた成田闘争。戦後、最も混迷を極めた国家事業では、警備に当たる機動隊と反対派の間で流血の事態が繰り返された。傷つき色あせたヘルメット、持ち手に布が巻かれた鉄パイプ。割れずに残り、口の先に布が詰められた火炎瓶…。6月下旬に開館した「成田空港 空と大地の歴史館」で、闘争の歴史が当時の資料とともに展示されている。地元に大きな傷跡を残した昭和の1ページはすでに、“過去”となっている。(川畑仁志)
力による対抗を選択した住民ら
「酒屋からビール瓶を取ってきて、火を付けて投げるタイプから、割れた衝撃の化学反応で発火させるタイプまでどんどん作った」
成田闘争で反対運動の中心メンバーだった石毛博道さん(62)は、こう語る。
「砦(とりで)を築いて、火炎瓶を投げつけた。現場に行くまでは怖くて仕方なかったけれど、機動隊と向き合うと自然と体が動いていった。機動隊の放水はすごい勢いで、バリケードから引きはがされるほど。落っこちると機動隊員が駆け寄ってきた」
政府は昭和41年、飽和状態だった羽田空港(東京都大田区)に代わる国際空港建設のため、複数の候補地から成田市三里塚地区を選んだ。反対する住民らはすぐさま「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成、新左翼・過激派各セクトの支援を得て、力による対抗を選択した。
歴史館は、反対派との対立から地域との共生を目指すまでになった経緯を検証し、伝えるため、成田国際空港会社(NAA)が地域の協力を得て空港そばにある航空科学博物館(千葉県芝山町)の敷地内に建設、6月23日にオープンした。空港建設を推進したNAAが運動を伝承するのは異例ともいえる。
半鐘として用いられたドラム缶
5万点を超える資料の中から厳選された365点の展示品には、元反対派から提供を受けた資料もある。納屋にしまわれていたものや土の中に埋まっていたものもある。“過去の遺産”は戦闘の激しさをうかがわせる。
館内は、開港以前の地域の様子「どんなところへ」や警察と反対派の対立「流血の日々」、問題収束のきっかけとなった「シンポジウムと円卓会議」など時系列に9コーナーに分かれている。
「空港粉砕」−。白いペンキで荒々しく書かれ、木組みの台につるされたドラム缶が「流血の日々」コーナーにある。当時、緊急事態の際に半鐘として用いられたもののレプリカだ。
空港建設作業の警備やバリケードを撤去するため訪れた機動隊を見つけると、住民はドラム缶を木の棒でたたいた。集落の要所に用意されたドラム缶を打つ音が響くと、ヘルメットをかぶった住民が駆け付けたという。
ドラム缶の向かいには、ヘルメットがずらりと並ぶ。住民がかぶったのは「空港絶対反対」などと書かれた白いヘルメット。後頭部には集落の名前なども書かれている。支援セクトはそれぞれのセクト名やマークを記したヘルメットを用いたという。文字が消えかかり、塗装のはがれたものもある。
石毛さんは反対運動の中で5度逮捕され、ずぶぬれのまま警察署に連行されたこともある。「絶対に空港は作らせない」という強い信念が機動隊との衝突に拍車をかけ、ついには双方に死者を出し、報復戦を繰り返すようになった。
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