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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

2522チバQ:2010/10/30(土) 00:16:24
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20101028-OYT8T01157.htm
鹿児島便最終離陸へ 「人生の旅立ちに搭乗」 県民ら惜しむ声
あす岡山空港


操縦していた航空機の前で写る松井さん(1995年、鹿児島空港で)=松井さん提供  会社更生手続き中の日本航空の不採算路線として撤退が決まった岡山空港の日本エアコミューター(JAC)鹿児島便が、30日を最後に運休する。旧岡山空港(現岡南飛行場)時代の1978年に開設され、岡山空港開港後の22年間だけで延べ80万人を運んだ。古里から遠く離れた空へ、進学や就職、結婚などにまつわる様々な思いを胸に搭乗した人は多く、人生の一ページを彩った翼がなくなることを惜しんでいる。(黒田聡子)

 元パイロットで、倉敷市児島唐琴、畳縁(べり)製造業「松井織物」社長の松井克爾さん(43)もその一人。米パニック映画「エアポート」シリーズを小学生の頃に見てパイロットにあこがれ、29年前、操縦士に必要な無線技術などを学ぶ通信コースがあった鹿児島県内の高校を受験するため、初めて鹿児島便に乗った。

 「1200メートルの滑走路を目いっぱい使って飛び立つ機体は、夢に向かって突き進む私そのものでした」

 見知らぬ土地で過ごす夜は寂しく、土曜日に学校を早退して岡山便に飛び乗り、夜通し遊んで翌日、鹿児島に戻ったこともあった。鹿児島県内の大学に通った後、89年からチャーター便のパイロットに。家業を継ぐため退職した96年まで、2000時間を空で過ごした。

 その経験は今の仕事にも生かされている。2004年8月に台風16号による高潮被害で、すべての織機が水没、被害が1億円を超えた時も「パイロットは、どんなトラブルがあっても必ず飛行機を着陸させる。会社も同じ」と奮起。アパレルメーカーなどの協力を取り付け、数年かけて再建した。全国の畳縁の8割を生産する児島地区で、100年以上続く自社の伝統を絶やさぬよう、新素材の開発にも熱心に取り組んできた。

 今も出張などで飛行機をよく利用する。鹿児島便ではこれまでに70〜80往復はした。今回、日航が地方路線を廃止することには「地方の活性化に影響が出る恐れがあり、県民の重要な足がなくなることに物申したい」と複雑だが、パイロットになる夢を育んでくれた鹿児島便には感謝している。

 「本当にありがとう。お疲れさま」

     ◇

 岡山市内のパート女性(48)は「鹿児島便は、私の人生の一部だった」と言う。

 初搭乗は、25年前の6月。同じ鹿児島県出身の夫と結婚、夫の職場がある岡山に向かった。鹿児島空港で家族に見送られ、寂しくて機内で泣いた。

 里帰り出産をした時、当時小学校3年の長女(21)が一人で祖父母を訪ねた時――。400キロ以上離れた古里と女性を、たった1時間30分で結んだ。今も年に一度は利用する。めいの結婚式から帰った26日が、女性にとってのラストフライトとなった。

 「今まで、ありがとう」。機内から見下ろした岡山の夜景が、深く胸に刻まれた。

     ◇

 鹿児島便は旧岡山空港に1978年12月、松山空港経由で開設。80年7月に直行便となり、88年3月開港の岡山空港に引き継がれた。搭乗者は93年度の5万1522人をピークに減少、2009年度は2万4336人、搭乗率47・2%と過去2番目に低かった。今年4〜9月の搭乗率は44・4%。日航は九州新幹線鹿児島ルートの全線開業(11年3月)後の採算悪化も見越して撤退を決めたとみられる。

 30日のラストフライトは、午後7時5分岡山発のJAC3694便。

(2010年10月29日 読売新聞)


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