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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

2438チバQ:2010/10/19(火) 12:26:16
 日航が制服に採用して以降、ミニスカートは企業の女性事務員の制服を中心に広がるなど、ジャンボ機は流行発信基地でもあった。

 「日本の経済発展が進んでいて、自分自身も世界に本格的に進出していくころだった。海外へジャンボ機で行くとエネルギーが出てくる気になった」と森は振り返る。


大きさへのあこがれ

 ジャンボ1番機が羽田−ホノルル間に就航したときのツアーコンダクターの話が旅行代理店、ジャルパックの社史に残っている。

 〈内部の広さに圧倒された。今なら、乗り込んだお客様はサッと席につくところだが、機内の写真を撮りまくっていて、なかなか席にはついていただけない。シートベルトを外してもいいというサインが出ると、またもや『機内探検』が始まる。ひときわ大きなエンジンの音や、ゆったりした揺れ方にジャンボ時代の到来をひしひしと感じていた〉

 そんな中、46年には「ドル・ショック」「ニクソン・ショック」と呼ばれるドルと金との交換停止で、1ドル=360円の戦後からの固定相場が崩壊した。48年に完全な変動相場制に移行すると、日本の経済成長力を示すように円は上昇した。円高は、日本人を海外旅行に誘った。


多様化への変容

 ジャンボ機が就航した時期は、外国の大衆食文化が浸透した時期と重なる。45年11月にケンタッキーフライドチキンの1号店が名古屋市にオープンし、翌46年にマクドナルドが開業するなど、ファストフード人気に火が着いた。

 買い物のスタイルも変わった。45年の総合スーパー「ジャスコ」が誕生すると、その後郊外型大型店舗が相次ぎ誕生し、商店街を歩く光景は、マイカーで繰り出し大量に買い込む米国型になった。

 1970年代に入ると消費動向はさらに変化する。

 昭和48年に国内線向けに550席のボーイング747SRが就航した。58年には座席スペースをさらに広げ当時として最大の747−300が登場する。

 だれもがジャンボ機を利用できるようになると、その存在が「あこがれ」から「当たり前」になる。日本の消費者に「中流」意識が広がると、消費者は「当たり前」ではない個性を追い求め始めた。

 45年に日産自動車がライバル車より排気量を大きくした「サニー」を発売したときには、「隣のクルマが小さく見えます」と刺激的なキャッチコピーが受け入れられた。消費者は「会員制」「限定品」「隠れ家」などのキーワードに付加価値を見いだし、60年には博報堂生活総合研究所が、こうした消費動向の変化を、「大衆から分衆へ」と表現した。

 ジャンボ機が象徴した大量消費時代は、時間とともに個性化、多様化に向かうことになる。(敬称略)




 世界最大のジャンボ機ユーザーである日航は保有するジャンボ旅客機の運航を今年度末までに打ち切る。ジャンボ機が見た時代を振り返る。


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