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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

2437チバQ:2010/10/19(火) 12:25:51
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/101012/biz1010121935025-n1.htm
【大量消費時代の翼】(上)「大きさ」「華やかさ」…社会象徴したジャンボ (1/4ページ)
2010.10.12 19:30
「皆さまがご搭乗の『747−400』、通称『ジャンボ747』は今年度をもって引退します。寂しくもありますが、最後の思い出にしていただければ大変うれしいです」

 秋晴れの広がった9月下旬、午前8時55分に羽田空港を飛び立った日本航空の新千歳行きJAL513便の機内に、機長の立花宗和(44)の声が響いた。立花のアドリブだった。

 「訓練を経て初めて乗ったのが747。乗員人生の7割をジャンボで過ごしてきたから」。アドリブの理由をたずねると立花は目を細めながらこう答えた。

 ジャンボ機は米ボーイング社が設計した、軍用機のノウハウを詰め込んだ旅客機だ。1960年代、米国では大量消費経済時代のまっただ中だった。ちょうど米軍も、多数の兵員を運べる輸送機の導入を計画し、ボーイングも技術開発に力を入れていた。

 受注には失敗したが、ボーイングはその技術を、世界最大の座席を持つ旅客機の製造に転用した。

 そんなジャンボを日本は歓迎した。日本初のジャンボ「747−100」の1番機が羽田空港から飛び立った昭和45年、日本では大阪万博が開かれた。「いざなぎ景気」がピークを迎えるなど、日本経済が最高潮に達した時代でもある。庶民の夢だった海外旅行が一気に身近になった。同時にアメリカの大量消費経済が日本に流れ込んできた。

 高度成長に突入した日本で、人々はカラーテレビ、自動車、クーラーの新三種の神器を手に入れ、あこがれのアメリカンライフに近づいた。大きくて、華やかで、夢があるジャンボ機は、大量生産、大量消費社会の象徴でもあった。


流行の発信基地

 大きさが目をひくジャンボ機の中で、短さで目をくぎ付けにしたものがある。

 日航は昭和45年、ジャンボ機導入にあわせ、女性客室乗務員の制服を、ミニのワンピースに一新した。世界的ファッションデザイナー、森英恵のデザインだ。

 「荷物棚に手を伸ばすとスカートのすそがあがってしまうことがある。だからガードルに赤い文字で小さくJALのロゴを入れた。(ガードルが)見えても社名に視線が行くように、すべて行き届いた計算だった」と森は振り返る。

 ミニスカートは42年、イギリスのモデル、ツイッギーが来日しブームの先駆けとなった。この時代から若者向けファッションとなったミニスカート、Tシャツ、ジーンズなどは大量生産の既製服で、大量生産、大量消費経済の広がりに大きな役割を果たした。


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