したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

2198チバQ:2010/08/11(水) 12:17:46
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100811ddm008020072000c.html
JAL再生:/下 痛みの現実、揺れる心 復活信じ「眼前の作業」に没頭
 <追跡>

 「自分は会社に必要なのか」。日本航空が春に続き、パイロットの特別早期退職(特早)の募集を発表した翌日の7月16日。フライトを終えた40代の男性パイロットは、空港から帰るリムジンバスの中で、募集通知を手に自問した。

 2回の特早で、日航はパイロットの約2割にあたる800人超を年度内に削減する。自分が乗る航空機は来年3月末までに退役するため、会社に残るには別の機種の資格が必要だ。しかし、資格取得の訓練を促す声が夏になってもかからない。不安が心に広がる。

 年収はピーク時の7割以下で、500万円以上減った。貯金を使って住宅ローンを支払い続けているが、会社は一段の賃下げを提案している。同業への転職を探す同僚もいるが、採用枠は少なく、「まるでいす取りゲーム」。早期退職の締め切りは今月16日。「特権」だったタクシー送迎が打ち切られたため乗ったバスの中で、体とともに心が揺れる。

 再生に向けたリストラの中、社員一人一人が、厳しい選択を迫られている。

   ◇   ◇


日航の社員一人一人に厳しい選択が突きつけられる=羽田空港第1ターミナルで7月30日、須賀川理撮影 本社管理部門にいた40代男性は、1月の経営破綻(はたん)後も「日航は日本になくてはならない会社。自分の手で必ず復活させる」と思っていた。路線撤退、子会社の売却、賃下げ……。「再建のため」と言い聞かせ、厳しいリストラ計画の立案に没頭した。だが、打ち出した施策に自分の生活が追いつめられた。昨冬からボーナスがゼロになり、住宅ローンの支払いが苦しくなった。「このままやっていけるだろうか」と不安が膨らんだ3月末、知人に新興服飾メーカーへの転職を打診され、日航との決別を初めて意識した。

 小学生の2人の子供は、図工の授業で日航機を描くほどの日航ファン。家族や同僚にも相談できず1人で悩み続け、春の特早締め切り前日の4月8日夜、ようやく「応募しようと思う」と妻に打ち明けた。しかし翌日も迷い続け、書類を上司に提出したのは夕方の締め切りぎりぎり。4月末の送別会で「僕は辞めるが、再建に向けて頑張ってくれ」とあいさつし、入社以来初めて泣いた。

 子供に打ち明けたのは退職後1カ月以上たってから。少し驚いた様子だったが、笑顔で受け止めてくれた。ほっとした。

   ◇   ◇

 残ることを選んだ社員たちは現場で格闘し続けている。羽田空港の整備場では、池原厚(33)ら若手の整備士が、燃費改善のために毎晩、1基1時間かかるエンジンの水洗いに汗をかく。「一円でも安く」と、汚れをふく布や軍手はなるべく再利用し、消耗品を入れる棚には1個当たりの単価を張り出す。

 整備現場でもベテランの多くが会社を去った。だが、池原は「日航には世界最高水準の技術とノウハウがある。必ず復活できる」と信じ、目の前の作業に神経を集中させる。9日は夜勤で、帰宅は10日の午前11時前。体力的にはつらいが、元日航社員の妻(32)や長男(4)が応援してくれるのを励みに、再生の現場を担う。

 国際線全路線の搭乗経験を持つベテラン機長だった小林宏之(63)は3月、約40年のパイロット人生に終止符を打った。「日航は外圧がないと変われない。いわば日本の縮図だ。敗戦後の日本のように、しがらみのない若い人たちが必死になればきっと再生できる」。残る社員に希望を託す。(敬称略)

   ◇

 この企画は山本明彦、小倉祥徳、赤間清広が担当しました。

==============

 ◇日航のリストラ計画
 日航再生のカギを握るのが人員削減を中心としたリストラ策だ。客室乗務員約2700人、パイロット800人超など、今年度中に前年度末比でグループ全体の3分の1に当たる1万6000人超を削減する。

 春に実施した特別早期退職にはパイロット約150人を含む約4000人の応募があった。さらに約4300人を追加募集する予定だ。残る社員に対しても、職種ごとに18〜30%の賃下げを含む賃金制度の抜本変更を提案している。ホテルや機内食業務など関連会社の売却も進める。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板