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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ

1609チバQ:2010/02/16(火) 21:52:39
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000711002130001
夢幻飛行 3/11茨城空港開港


前史(上) 消えたインディ構想
2010年02月13日


中央がターミナルで、写真上部に見えるのが自衛隊の滑走路(上)と民間用新滑走路=1月16日、茨城県小美玉市、本社ヘリから福留庸友撮影

 その構想が世に出たのは、1992年の8月だった。


 関西県人会に出席した竹内藤男知事(故人)は、こう打ち上げた。「百里に、民間機を入れたい」。この発言で航空自衛隊百里基地(小美玉市)を民間と共用する議論がスタートする。つまり、このひと声が茨城空港誕生への出発点となった。
 発言までの紆余曲折(うよきょくせつ)は、実はほとんど知られていない。


   *


 さかのぼること3年前、あるプロジェクトが百里周辺で動いていた。その名を「インディ500構想」と呼ぶ。


 「インディ」はアメリカで人気の自動車レースだ。楕円(だえん)のコースを周回するため平均スピードが速い。その専用サーキットを造ってレースを誘致しようとした。


 背景にあったのは一部地権者の声。「基地ができても騒音があるだけ。活性化につながる何かを誘致できないか」という声が回り回って大手企業の耳に入る。基地周辺を調べた結果、地盤もよく「インディ」のコース条件が整っているとされた。


 話は進み、地元の不動産業者が地権者を説得して約8割の同意を得たという。この業者は自動車メーカーや商社の関係者とアメリカにまで視察に行った。


 本場アメリカではレースをしていない時期はゴルフ場として使われていた。地元説明会も開かれ、多くの人が賛同してくれた。一歩一歩、構想は動いた。当時の関係者が言う。「5〜6年後の開設を目指していた。サーキット周辺には自動車メーカーの研究施設や試験場を設置する予定だった」


 しかし……。この話は立ち消えになる。


 突然の電話が旧小川町商工会長の山西庸義(つねよし)さん(73)にあったのは90年ごろだった。


 「知事は百里基地を民間との共用にしたいと思っている。インディ構想には反対してくれと言っているが、どうですか」


 自民党衆院議員、額賀福志郎氏(66)からだった。


    *


 3月11日、全国98番目の空港として茨城空港が開港する。関東唯一の戦闘航空団がある航空自衛隊百里基地に民間用滑走路を敷設した国営空港だ。


 99年に国が出した需要予測では茨城空港は札幌、大阪、福岡、那覇の国内4路線で年間約81万人の利用を見込んだ。旧小川町のビジョンでは周辺に航空博物館やホテル、ショッピングセンター……。


 バラ色の夢が錦の御旗だった。空港整備費約220億円で2700メートルの民間用滑走路を新設。県開発公社は約30億円でターミナルを造った。だが今、就航が決まった定期便は韓国のソウルと結ぶ1日1往復と新興航空会社のスカイマークが4月16日から就航させる神戸便1日1往復だけ。空港周辺の施設も、進出企業ゼロの空港テクノパークと公園しかない。


 夢が大きかっただけに、落差もまた大きい。


      ◇


 茨城空港はどんな経緯で造られたのか。成長の可能性はどうか。スカイマークの狙いは? 羽田の拡張、JAL破綻(はたん)、航空自由化、乱立する地方空港……。国内の空が大きく変わりつつある今、茨城空港の展望を探る。(岡村夏樹)


 ◆キーワード
 <インディ500> アメリカ・インディアナポリス近郊で1911年に初めて行われた自動車レース。正式名は「インディアナポリス500マイルレース」。F1のモナコグランプリ、ルマン24時間レースと並んで世界3大レースと言われる。96年からはインディカー・シリーズもスタートし、日本では栃木県のツインリンクもてぎで開かれている。


 【写真説明】
3月11日に開港する茨城空港。中央がターミナルで、写真上部に見えるのが自衛隊の滑走路(上)と民間用新滑走路=1月16日、小美玉市、本社ヘリから福留庸友撮影


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