[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
6201-
6301-
6401-
6501-
6601-
6701-
6801-
6901-
7001-
7101-
7201-
7301-
7401-
7501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ
1237
:
チバQ
:2009/12/13(日) 18:17:20
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091211/plc0912112207017-n1.htm
【関西3空港 視界混沌】(中)伊丹存続「苦渋の選択」 (1/3ページ)
2009.12.11 22:04
「伊丹を存続させるか、廃港させるのかという議論は、今に始まったことじゃない」。兵庫県伊丹市の職員として30年間近く大阪(伊丹)空港を見つめ続けてきた宮本孝次参与は、「伊丹廃港論」を声高に唱える大阪府の橋下徹知事を牽制(けんせい)する。
伊丹空港が「大阪第2飛行場」として整備されたのは昭和14年。高度成長期に差し掛かる34年に大阪国際空港と改称し、39年にはジェット機が就航。騒音・振動問題も次第に深刻化し、地元住民による公害調停や訴訟へとつながっていく。
宮本さんには忘れられない出来事がある。
大阪万博の開催決定を受け、国は2本目滑走路の整備を模索した。37年4月、拡張を受け入れたい伊丹市議会に対し、反対派住民らがデモを起こした。
隊列を作り、渦を巻くように行進する住民。またたく間に議場を占拠した。「議長は議場に入れず、逆にほとんどの議員は議場に缶詰め状態になった」と伝え聞いている。
当時、就航していた大型ジャンボ機の騒音は117デシベル。電車が通るガード下の100デシベルをはるかに超えていた。騒音や振動は、航空需要の高まりとともに激化していった。
◇
騒音公害の第1次伊丹調停団の照屋成徳代表は、子供の授業参観で初めて学校に行ったとき、上空からの爆音に驚いた。「4回も5回も飛んできて、授業がまともにできなかった」
その解決策として浮上したのが、関西新空港の建設だった。国の航空審議会で神戸沖や大阪・泉州沖などさまざまな案が検討された末、昭和49年8月、審議会は新空港の位置と規模について答申。泉州沖が最適と打ち出すとともに、「関西国際空港は、大阪国際空港の廃止を前提として…」と、はっきり「廃止」の文字が記された。
だが、その後も伊丹空港は存在し続ける。答申から16年後の平成2年12月、地元11市でつくる「大阪国際空港騒音対策協議会」(11市協)は、運輸省が提示した、関空開港後も存続させることを明記した協定書に調印した。
伊丹存続をめぐり、運輸省側には伸びゆく関西の航空需要を新空港だけではまかないきれないという危惧があり、地元自治体には空港がなくなることで、街が活力を失うのではないかという危機感があった。
長年にわたり騒音に悩まされ、昭和56年には伊丹を事実上「欠陥空港」とする最高裁判決まで勝ち取った地元住民にとって、存続はまさに苦渋の選択だった。
国は、地元住民に対し、環境対策事業を続けた。騒音対策として防音工事を促し、各家庭にエアコンや防音サッシを配備。これまでに投じられた伊丹周辺への環境対策費は、総額約6700億円にのぼる。
◇
平成2年当時、池田市議会議長だった同市の倉田薫市長は「関空の建設が始まり、伊丹がなくなったら困ると思い始め、何とか一部でも残せないかという話になった。だが、関空シフトが進み、ローカル空港への道をたどった」と悔やむ。
倉田市長には、伊丹の機能が縮小に向かい、やがて街が廃れることへの恐れがある。「“座して死を待つ”より、廃港を前提に地域活性化をはかるべき」という考えだ。
だが、地元の首長が「廃港」を口にすることは、周辺自治体にはなかなか理解されない。半ばあきらめかけていたとき、橋下知事が26年後の「伊丹廃港」と跡地を有効活用する構想を打ち出し、再び伊丹の存廃が表舞台に引き上げられた。
倉田市長はいう。「あのやんちゃ坊主が、大胆で奇抜な提案をしてくれた。これやったら乗っかるのもありだ」
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板