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Airline & Airport(航空会社・航空路線・空港)スレ
1040
:
チバQ
:2009/11/03(火) 02:50:44
こんなんか
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/kikaku/027/4.htm
1980年代 びわこ空港計画<4>
びわこ空港予定地周辺(本社ヘリから)
一九八七年十二月五日夜、蒲生町綺田(かばた)の集会所に住民約五十人が続々と集まった。熱気に包まれた会場で住民の視線は県職員らに集まった。滋賀空港(仮称)=一九九〇年、びわこ空港に変更=建設計画の初の説明会だった。
びわこ空港は一九七三年に県総合発展計画で経済の発展を目標に必要性が指摘され、八四年四月には当時の武村正義知事が立地調査を指示した。大津市田上、甲賀、日野・蒲生の三地区が候補地として挙げられた。
「滑走路は二千メートル」「総事業費は約二百八十億円」。淡々と続く県担当者の話に、一人の住民が「知らん間にもう決まっとるじゃないか……」とつぶやいた。意見を述べる場はなかった。「住民無視じゃないか」「ふざけるな」。つぶやきは怒声に変わった。
翌八八年九月、日野・蒲生にまたがる丘陵地「蒲生野」(約百八十ヘクタール)が地盤や立地の面から最適として予定地に決定し、発表した。二〇〇〇年の開港を目指した。十一月には議会承認も得られた。
県庁に対策室が設けられ、財務、土木、企画などの部署から約十人が集められた。九一年度からの国の第六次空港整備五か年計画に盛り込むことが至上命題だった。
約二十畳の事務室壁の本棚には、資料や専門書が並んだ。ある県OBは「県の将来を担う大事業を進めている。プライドを持って仕事に臨んでいた」。行政マンとしての自負が「新幹線駅や高速道路があるのに空港が必要か」と難色を示す国=運輸省(当時)を説き伏せる原動力になった。
年間七十五万人の需要予測、国の基準以上の騒音基準を設けるなど熟慮した計画は国を納得させる材料となる。そして「そのデータは、そのまま地元住民の理解を得る材料となる」――職員全員が思っていた。
しかし、違った。綺田地区は説明会直後から各地の空港視察を繰り返し、週に二、三度集まって対応を協議した。八八年七月には反対委員会が組織され、対策室が設置される約一か月前には「建設計画が撤回されるまで県との話し合いの場を設けない」と決議した。
望田政男・綺田区長(60)は「最初の説明会で私らの気持ちは決まっとったんですよ」。騒音や自然破壊も反対の理由だったが、「お上(かみ)」からの計画ありきで話が進められ、住民には「文句を言うな」という態度に受け取れた。
建設反対のために立ち木トラスト(一九九三年二月)を行った。建設の是非を問う住民投票条例の住民直接請求(一九九九年二月)の署名にも参加した。しかし、県議会には否決された。
県からは何度も話し合いの要望があった。住民側はその都度「白紙撤回を含めた話し合いになら応じる」と回答した。望田さんは「波及効果がどれくらい期待できる、騒音はこれくらいで抑えられると数字を並べられても、みな机上の話だと思った」と話す。
二〇〇〇年九月、綺田地区は環境アセスメントの不同意を決めた。一番機が飛び立っているはずの二〇〇〇年十一月、国松知事は「立ち止まって考える」と事実上の計画一時凍結を表明した。
◇
高度経済成長が終わり、琵琶湖の環境問題などのひずみがクローズアップされ始めた。びわこ空港計画は蒲生、日野の住民を推進、反対派に分断した。
「時代は変わった」。県OBは述懐する。「悪い計画とは今も思っていない。しかし、行政が計画を立て住民に下ろすという公共事業のあり方を見直す時代になった。これからは情報公開と住民の理解の上に立って進めるべきだ」。
住民の「変化」を行政が意識する時代がやってきたことを「びわこ空港」は示した。
八八年に調査が始まった農水省の永源寺第二ダム(永源寺町)は反対運動にさらされ、今年八月、国自体が計画の見直しを含めた再検討を始めている。
<ご当地記者>
将来の実現の可能性を摘むまいと、中止や凍結の言葉を避けて考え出された熟慮の言葉。それがストップ・アンド・シンキング。「立ち止まって考える」だった。「一時凍結」との表現に、知事が反発した県庁担当時を思い出す。
県の判断は結果的によかったのかもしれない。しかし、それだけに環境アセスの同意で一集落だけ残され、深夜まで何度も賛否の意見集約を迫られた綺田地区の住民、あの深夜の区長(当時)の表情は今も忘れられない。もし今でも湖国に空港を必要とするのなら、県は一から計画を作り直すべきだ。(編成部 渡部哲也)
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