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九州・沖縄 地方議会・首長,政治・選挙スレ

9180OS5:2025/11/17(月) 20:15:28
https://news.yahoo.co.jp/articles/03c92f4e7671a804c465679f640de27b7632a37c

「周りにイエスマンしか…」 市長を4期 それ以前に村長も3期 長期間君臨した前南城市長、古謝景春氏の功罪
11/17(月) 19:46配信
2度目の不信任可決で失職した古謝景春前南城市長は、本島南部の知念村長を経て、4町村が合併して誕生した南城市長を4期務めてきました。長期間、地域のリーダーだった古謝氏が南城市にもたらしたものとは何だったのでしょうか。

▶▶ 認定されたセクハラは9件 検証した第三者委は告発された被害「すべてあった」と判断

知念村役場の職員からキャリアをスタートさせた古謝氏。今の副村長にあたる村の助役に43歳という若さで抜擢され、その4年後には知念村長に就任します。

■若くして頭角を現す

そして2006年、古謝氏が50歳となるころ、旧知念村など4町村が合併して南城市が誕生。古謝氏は初代南城市長となります。

南城市長選に初当選した当時のインタビューで古謝氏は、「日本一元気で魅力ある南城市を目指したい」と語っていました。

その後は3期連続で当選。

古謝氏に近いベテラン議員は、強いリーダーシップを発揮し、職員思いの一面を持った人物だったと古謝氏を評します。

ベテラン議員A:
「(職員に対し)アイデアもたくさん出して、“何にでも挑戦してほしい。責任は全部俺が取るから” そういう人だった。職場は風通しが良くて、いろいろな意見が出る雰囲気があった」

古謝氏は南城市長として「那覇広域都市計画」から離脱。独自の都市計画を立ち上げました。

那覇広域都市計画区域に組み込まれていた旧大里村・佐敷町には、新たな住宅を建築するには厳しい制限がありましたが、独自の都市計画による緩和で、地域の人口は増加しました。

■行政手腕には評価も 次第に “強引”に

ベテラン議員A:
「(古謝氏は)国や県に職員を2年間派遣して、独自の都市計画を実現するための理論を構築した。広域都市計画を離脱するというのは、当時全国でもあまり前例のないこと。古謝市長でなければ成し得なかった」

別のベテラン議員は、十数年議論されていた南部6市町の最終処分場建設問題に古謝氏が道筋をつけたと振り返りました。

ベテラン議員B:
「うまく説明できない職員に代わって、自らが矢面に立って説得にあたっていたのをよく覚えている。なかなかできることではないと思った」

しかし、そうした一面も当選回数を重ねるごとに「強引さ」へと変わっていきました。古謝氏が無投票で3選を決めたのは58歳の時。

任期中に60歳を迎え、市の幹部を含め職員が自身よりも年下になったころから、古謝氏に意見できる人がいなくなっていったと、ある中堅議員は話します。

中堅議員A:
「それまでは職員もシージャー(先輩)で、(地元知念の)ベテラン議員もいた。そうした人が引退して、自分が一番年上になり、周りにはイエスマンしかいなくなった」

この任期中には、公立保育園の民営化をめぐる問題が浮上。

古謝氏は民営化に反対する市民に対し「圧力」と受け取られかねない言動を重ねました。市民から議会に出された陳情も時間をかけて審議されることはなく、計画は半ば強引に推し進められました。

■中堅議員「あの時、心を入れ替えて変わっていれば」

そうした影響は次の選挙に表れます。65票差で市長選に敗れたのです。

中堅議員A:
「あの時に心を入れ替えて変わっていれば、また違った結果になったはず。だけどそうはならなかった」

2022年には市長に返り咲きを果たしますが、もう古謝氏に意見を言える人は周りからいなくなっていました。

古謝氏のセクハラ疑惑をめぐり市が設置した第三者委員会は、問題の背景についてこう記しています。

▼第三者委員会の報告書 88ページ
「市長として強大な権限を有し長期間在任する中で、その地位を確固たるものとし(中略)副市長や管理職に意見や注意をする者はいない状態」

知念村長時代から続いた、約20年にわたる長期政権は、2度の不信任決議によって失職という結末を迎えました。

琉球放送


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