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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ
8065
:
チバQ
:2021/04/18(日) 21:49:48
「長いと自分の色出すぎる」松原氏
三期十二年で退任を決めた理由は何か。二〇〇九年四月まで名古屋市長を務めた松原武久さん(84)は、こう語った。
「市政は川の流れのようなもの。たしか、(戦後二代目市長の)小林橘川(きっせん)さんの言葉だと思います。これを思い、自分が流れを変えるのはよくないと考えました」
やはり三期で退くのが、自然な流れなのだろうと決断したのは、〇八年秋だったという。
「最初は、役所の部下も同じぐらいの年齢だったのに、そのうち自分がずいぶん年上になる。きつくしかるようにもなった。長くやると、どうしても自分の色が出すぎちゃう」
教員出身で、市教育委員会の要職を歩んだ。故・西尾武喜さんの後継として、共産党を除く市議会各会派にかつぎ出された。「本当はやりたくなかったけど、外堀を埋められた」
一期目の一九九九年に「ごみ非常事態宣言」を出した。ごみ処分のために名古屋港・藤前干潟を埋め立てるのを断念し、市民に協力を呼び掛けてごみ減量を実現。「環境」が看板になった。
二期目の二〇〇三年、道路清掃談合事件でベテラン市議が逮捕された。市当局と議会の「なれ合い」を排する改革を進めようとして議会の反発を招いた。それ以降、議会との関係が微妙に。三期目には、こだわっていたメインストリート広小路通の活性化を狙った予算案が認められなかった。
関係がしっくりしないまま、迎えた決断の時期。決断には、体調も影響を与えたという。
「腰痛がひどくて。議会の本会議で答弁しようと、立ち上がるのにも時間がかかった。『ちゃんと立つから、待っていてほしい』と議長に伝えていました」。本会議の昼休み中には病院でブロック注射を打った。「腰痛は、間違いなく意欲をそいでいきました」と語った。
「何期まで」一概に言えない
椙山女学園大の木田勇輔准教授(政治社会学)の話 市長は何期までが適切なのかは、地域ごとに事情もあり、一概に言えない。長期政権にも政策や施策の継続性が確保される長所がある。ただ、三期で市長交代が続いた名古屋市では、四期には相当の重みがある。過去に市長を擁立してきた議会は「三期」を意識してきただろうし、よほどの実力者でなければ、四期目への出馬は許されなかっただろう。
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