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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ
7010
:
チバQ
:2018/09/24(月) 12:16:12
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180923-00000026-mai-soci
<最年少町長3カ月>2児の母過疎地で奮闘「めげない」
9/23(日) 18:32配信 毎日新聞
◇東大院修了の2児の母の32歳 「新しい風を吹かせる」
日本屈指の豪雪地帯・新潟県津南町に全国最年少の女性首長、桑原悠(くわばら・はるか)町長(32)が誕生してから24日で3カ月を迎える。平均年齢54.8歳(2015年現在)、人口約1万人の過疎地の変革を託された東大院修了の2児の母。数々のしがらみの中で「新しい風を」と町政に取り組む姿を追った。
【南茂芽育/新潟支局】
◇騒然とする町議会
町議会9月定例会初日の10日。「若者が戻ってこられるような町にしたい」「『もうかる農業』のため、役場に専門の人材を置きたい」。熱弁を振るう桑原氏に対し、ベテラン町議から「具体的に良いアイデアがあるのか」「そんな人が見つかるめどはあるのか」と矢継ぎ早に質問が飛んだ。桑原氏が隣の副町長と少し言葉を交わすと「聞いているのか。真面目に答えて」と詰め寄る女性町議。桑原氏が「金切り声をあげないで、冷静に」と呼びかけると、議場はますます騒然となった。
議会終了後、桑原氏は「また言われた」と顔をしかめながらも「めげてる場合じゃない。それだけ重い責任を負っているから」と闘志をあらわにした。
◇「誰にもできないことをやってみたい」
「とにかく強い子だと思われたい」--。津南町で兼業農家の長女として育った桑原氏は保育園時代、近所の年下の子供たちを一列に並ばせ、きちんと並べると「よくできました」とお菓子をあげて従えていたという。
中学生の時に祖父の家で元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏の本を読み「難民の支援がしたい。国連で働きたい」と憧れた。早稲田大社会科学部3年生の時に米オレゴン大に留学。オレゴン州で見た「東京一極集中」の日本とは違う「活気ある田舎」に驚いた。果樹農業が盛んで、繁盛する小さな店も多かった。「こんな豊かな田舎もあるんだ」
思い描いていた「都会でのエリートコース」への憧れは消え「生まれ育った郷土で働く『現場主義』もいいかもしれない」と思うようになった。
もっと地方自治を学ぼうと東京大公共政策大学院に進学後の2011年3月、転機が訪れた。東日本大震災の翌日、津南町が長野県北部地震で被災したのだ。
死者は出なかったが、1000軒以上の家屋が被害を受けた。「誰にもできないことをやってみたい」と思っていた矢先のことでもあり「今なら地方自治の知識を復興に役立てられる」と、思い切って町議選に立候補した。町史上最年少の町議候補として話題を集め、25歳でトップ当選した。
◇「8割は言いたいことを我慢した」町議時代
しかし、すぐに厳しい現実に直面した。
町議になった直後の11年末、議会の審議をネット中継する構想が持ち上がった。先輩議員たちは「1年かけて話し合う」と、のんびり構えていた。「今はネットの時代。それじゃ遅い」と異論を唱えた結果、ネット中継は3カ月で実現した。しかし、他の議員たちから「皆の前で先輩議員を批判したりするのは生意気だ」と煙たがられるようになった。
その後、町で養豚業を営む夫と知り合って結婚。15年の第1子出産に伴い、議員の産休制度の創立を提案した。先輩議員たちには「若者が町議になった時点でこうなるとは思っていた」と受け入れられたものの、議会内の冷たい視線を意識して、結局産休は約2カ月しか取れなかった。「8割は言いたいことを我慢し、自分の良さが殺された日々だった」と桑原氏は振り返る。
「もう耐えられない」との思いが募っていた今年2月、上村憲司前町長が引退の意向を表明した。「14人の町議のうちの1人じゃなく、町長ならもっと町を変えられるのでは」。そう考えて翌月、「まだ子供も小さいのに」と反対する家族を押し切り、町長選への立候補を表明した。
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