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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ
6194
:
チバQ
:2017/04/27(木) 19:15:36
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170427-00010001-at_sc-l22
<静岡県知事選>水面下の擁立劇(下)消えた禅譲の筋書き
@S[アットエス] by 静岡新聞SBS 4/27(木) 17:10配信
<静岡県知事選>水面下の擁立劇(下)消えた禅譲の筋書き
民進党代表代行辞任について記者団に説明する細野豪志氏(中央)。この直後から擁立のシナリオが崩れ始めた=13日、東京・永田町の衆院第一議員会館
留守電に「出馬宣言」
4月18日夜、県知事選への擁立論が浮上していた細野豪志氏(45)=民進党、衆院静岡5区=の携帯電話に着信があった。相手は3選への態度を明確にしていなかった現職知事。「川勝平太です。出ることになりました」。留守番電話に「出馬宣言」が残されていた。「川勝氏が不出馬を表明し、細野氏が立つ」―。当初描いたシナリオが狂い、擁立を目指す関係者の間に緊迫感が高まった。
水面下では、有力経済人の鈴木修スズキ会長と川勝氏が19日に会うとの情報が流れていた。川勝氏支援を公言し続けた細野氏にとって、会談を経て先んじて川勝氏に出馬表明されれば、自身が立候補する理屈が立たなくなる。「先手を打たなければ終わる」。主戦論者は電撃会見を勧めて決断を迫ったが、細野氏は首を縦に振らなかった。
細野氏擁立論の始まりは2016年12月。川勝氏が細野氏に、「僕の後をやる気はないか」と禅譲を持ちかけたとされる。民進党代表代行だった細野氏は当時、自身の立場と、回復しない党勢に行き詰まりを感じていた。細野氏に近い関係者は「知事になって地域政党を作りたいと考えた」と、本人が出馬に傾いた背景を解説する。
こうした動きは川勝氏の対抗馬擁立に苦戦する自民党側にも、事情通のシンクタンク関係者を介して伝わった。塩谷立党県連会長は2月、2度にわたって東京都内で細野氏に接触。出馬の可能性を感じ取ると、県連幹部の間に「相乗りやむなし」の空気が広まった。
細野氏擁立への流れは具体化に向かうかに見えたが、この頃から川勝氏の発言が微妙に変化したという。「後継指名ではなく、先に手を挙げては」。細野氏への勧めを周囲はけん制ではないかと受け止め、川勝氏の心変わりに神経をとがらせた。
さらに、同じ民進党の渡辺周氏の動きが追い打ちを掛ける。4月13日、憲法改正私案を発表した細野氏が代表代行の辞表を提出した直後に自身のブログを更新し、川勝氏不出馬を前提に立候補の意思を表明。“落下傘”として臨んだ衆院初挑戦時、隣接区の現職だった渡辺氏には世話になった恩義がある―。細野氏の心は揺れた。
19日深夜、JR浜松駅からタクシーに乗り込み、鈴木会長の元に向かう細野氏の姿があった。20日未明に及んだ話し合い。川勝、細野両氏の対決を望まない鈴木会長の回答は「支援できない」だった。出馬への流れは断ち切られた。
細野氏は最後まで「禅譲」を信じていた。「結局は細野さんが甘かったということか…」。擁立論を支えた関係者はため息交じりにつぶやいた。
静岡新聞社
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