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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

508千葉9区:2009/06/04(木) 23:06:25
http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=3&newsNo=159112
上越市長選に宮越氏出馬へ

 前上越市長の宮越馨氏(67)は27日、任期満了に伴う10月25日投開票の上越市長選に出馬する意向を固めた。新潟日報社の取材に対し明らかにした。関係者との調整を進め、近く記者会見を開いて正式表明する。

 木浦正幸市長(56)は先週、次期市長選に立候補しない意向を表明している。同市長選への事実上の「出馬表明」は宮越氏が初めて。

 ほかに村山秀幸副市長(60)、市議会の山岸行則議長(59)、地域紙社長の大島誠氏(48)らの名前も取りざたされており、今後、市長選に向けた動きが活発化しそうだ。

 宮越氏は出馬の意向を固めた理由について「さまざまな方面から出馬に向けた要請があり、それを真摯(しんし)に受け止めた」と説明。「政策などの詳細は会見で述べる」と語った。

 宮越氏は同市出身。中央大卒。旧大蔵省主計局などを経て1993年11月から上越市長を2期務めた。2003年4月から県議。任期途中の04年10月の知事選に立候補、落選した。


新潟日報2009年5月28日

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E8%B6%8A%E9%A6%A8
大蔵省主計局事務官を退官後、渡辺美智雄の秘書を8年勤めた後、衆院選に3度出馬[1]したものの、いずれも落選した。宮越が出馬した旧新潟県第4区は、定数2を自民党の高鳥修と当時同じく自民党だった白川勝彦、さらに社会党(当時)の筒井信隆の3人が激しく争っており[2]、宮越はこの3度の選挙全てで4位と破れた[3]。

そして、3度目の落選直後の1993年11月より出身地の上越市長に就任、強力なリーダーシップで副市長制導入や情報公開条例の制定などの改革を実行した。しかしその反面、積極的な開発政策を実施した結果として市債残高を増大させたことやリーダーシップに対する反発なども見られた[4]。さらに、2期目にセクハラ問題[5]で告訴されたこと(後に和解)や、ゴミ処理施設の解体工事を巡り訴訟合戦[6]になるなど、反宮越の機運も高まった。

その結果、3期目を目指した2001年10月28日投票の市長選において、自民党の一部が木浦正幸県議を対抗馬として擁立[7]し、宮越は現職であるにも関わらず2万票余りの大差で落選となった[8]。

その後、2003年4月の新潟県議選に当選したものの、翌年10月の新潟県知事選には4位落選、さらに全国最多となる1市13町村の合併後に行なわれた2005年10月30日投票の上越市長選で再度、木浦に大差で破れた[9]。

2007年4月の新潟県議選・上越市選挙区に宮越が再度出馬するとの憶測もあったが、出馬しなかった。ちなみに、宮越は2005年の衆院選への出馬に意欲を示したが、自民党の公認を得られなかった(自民党は前回に続き、新人で高鳥修の息子・修一を公認)うえ後援会の反対(市長選への出馬論が大勢だったという)もあり、出馬を断念している。[10]。


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