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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

50千葉9区:2008/11/27(木) 23:28:20
古い記事ですが・・・
http://www.shizushin.com/feature/touitsusen2007/kikaku/20070308102749.htm

【浜松政令市長選・激突の構図(上)】 北脇氏と経済界決裂
2006/12/23




防災訓練で隣り合わせになる鈴木康友氏(右)と北脇保之氏。かつての盟友2人の対決が確実になった=3日、浜松市の天竜川河川敷








 来春の浜松市長選へ民主党の鈴木康友前衆院議員(49)が22日、出馬を正式表明し、選挙戦は事実上の本番へ突入した。経済界を背にした鈴木氏と現職の北脇保之市長(54)は正面から激突する形だ。しかし、2人は同じ党の同じ選挙区の衆院議員を務めた“先輩・後輩”。北脇氏の跡を継いだのが鈴木氏で、主張も多くが共通している。一体どうしてこの2人が戦うのか。また、北脇氏を市長に担ぎ出した中心人物の鈴木修スズキ会長(76)がなぜ今回、鈴木康友氏擁立に走ったのか。見えにくい“対立”の舞台裏を探る。
 1999年5月の市長公舎。浜松経済界を代表する経営者12人が47歳の若い市長の誕生を祝う席に着いていた。前市長の栗原勝氏の多選を批判し、衆院議員だった北脇氏を市長選に擁立したメンバーだ。「何か名前を付けないと―」と口火を切ったのは上島清介ヤマハ会長(当時)。市幹部が「5月(ごがつ)ですね」と言うと、「じゃ、さつき(5月)会」と決まった。経済界の応援団に見守られ、北脇市政は順調に滑り出した。
 1期目、鈴木修会長の指摘もあって進めた納税率アップ作戦。市幹部を滞納者宅に出向かせるなど、北脇市長は「懸命な様子だった」(市幹部)。経済界の合併・行革の声に呼応する形で、市長は環浜名湖政令指定都市構想も発表し、従来の静観方針を合併推進に転じた。
 しかし、4年後、再選を果たした北脇氏は、さつき会のメンバーに「解散」を申し出た。
 「2回目の当選の後、突然来て、もうあの会はやめたい、と言う。もういいから解散したい、と言うんだ。一方的に。12人は憤激したよ」
 鈴木修会長は今年10月の市行財政改革推進審議会の公開審議終了後、記者に北脇市長との対立の原因を聴かれ、さつき会のいきさつについて初めて明かした。メンバーの1人も「あれから北脇さんが分からなくなった」とさつき会解散が分岐点だったことを認める。
 何が北脇市長をそうさせたのか。市長は語らず理由は分からないが、市の元幹部は「自立して、しがらみのない自分の市政をやりたい、と考えたのではないか」と推測する。「政治家というより旧自治省出身の行政マンの首長。自負もあり、経済界の一部とはしっくりしなかった」という。
 その後も経済界の実力者らは見守ったが、意思疎通はよくならなかった。それまで市長の代わりに市の考えを説明に回った助役や部長らパイプ役の幹部も退職で消え、「企業が出ていって危機的なのに市は企業の声を聴きにも来ない」と経済界の一部から批判がわき起こった。
 「北脇さんの方から訪ねて来れば」と鈴木修会長は発言し、関係修復の可能性もにおわせたが、「頑固に」(市幹部)北脇市長は動かず、溝は深まった。「なら柔軟な康友さんで行こう」とかつて北脇氏を担いだ経済界の人たちは動いた。そして、北脇市長は12月1日の出馬宣言で「一部の利益に偏らない、市民本位の民主主義の自治を実践する」とあらためて決意表明。両者は真っ向から戦うことになった。


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