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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

415千葉9区:2009/04/27(月) 19:52:19
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20090427ddlk23010177000c.html
’09名古屋市長選:荒波半生越え河村氏 庶民に愛され、政治家に嫌われ /愛知

当選を決め、支持者から花束を受け取る河村たかし氏=名古屋市東区で ◇歴史観で火種も
 名古屋市長に初当選した民主党前衆院議員の河村たかし氏(60)は、家業の古紙業を手伝いながら法曹界を目指し、次いで政界を目指した。落選も経験し、政党を渡り歩くなど、振幅の激しい半生を送っている。庶民から愛される親しみやすさと、政治家からは嫌われる頑迷さを併せ持つ河村氏とは、どんな人物なのか。新市長の経歴を追った。【月足寛樹】

 ■実家は古紙業

 河村氏は48年、名古屋市に生まれた。実家は古紙業を営む中小企業だった。河村氏は著書で「ワシが子供のころから偉そうにふんぞりかえっている人間が嫌いなのは、やはり『自分は頭を下げる商売人の息子だ』という考えが根底にあるのかもしれない」(「おい河村!おみゃあ、いつになったら総理になるんだ」KKロングセラーズ)と記している。

 地元の小中学校を卒業し、高校は県立旭丘高へ。一橋大卒業後、家業を継いだ。河村氏は今回の選挙演説で「フォークリフトに乗っていたころの視線は忘れない」と語っている。

 家業の傍ら、検事を目指して司法試験に挑んだが9回の失敗を重ねた。「人生やり直さねばならない人はたくさんいる。(略)今の世の中はそのような人々をサポートしてくれるのか」(前掲書)との思いから、政治の道を志した。

 ■落選を経て

 元民社党委員長の春日一幸衆院議員(故人)の私設秘書になり、83年の県議選に出馬して落選。その後、春日氏から「『迷惑になった』と追い出され」(同)、85年の名古屋市長選に出馬表明したが、春日氏らの反対に遭い断念。次は自民党から衆院議員を目指したが公認を得られず、90年の総選挙に無所属で立候補し、惨敗した。自転車街宣はこの時からだ。

 93年の総選挙に日本新党から出馬し、初当選。新進党、自由党を経て民主党に。議員特権問題に切り込み、テレビで発言を繰り返したことから人気を呼んだ。河村氏は著書の中で「小泉さんは『自民党をぶっつぶす』と言いましたが、本当にぶっつぶさなければならないのは『議員・役人天国』です」(「国破れて議員あり」徳間書店)と訴えた。

 議員立法にも積極的に取り組んだが、自身が提出した68本のうち成立したのは一本もない。市長を目指すきっかけでもあった。

 ■冤罪・歴史観

 河村氏の活動で目を引くのは、02〜03年に名古屋地検特捜部が立件した名古屋刑務所事件への取り組みだ。刑務官が受刑者の腹部に革手錠を締め付け、死傷させた事件と、受刑者のでん部に消防用ホースで放水し、死亡させた事件を「冤罪(えんざい)」と訴えている。両事件とも1審は有罪で、放水死事件は2審も有罪だが河村氏は今も「無罪」を訴えている。

 また、河村氏が著書(「おい河村!〜」)で旧日本軍の南京大虐殺について「いつの間にか『歴史的事実』にされてしまった」などと記し、歴史観が問われたこともある。河村氏は毎日新聞のアンケートでも、改憲して自衛権を明示することを主張しており、市長就任後の火種になる可能性を残している。


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