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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

3379チバQ:2012/11/12(月) 23:00:08
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000181211120001
【この人に聞きたい】


中根薫さん(77)
2012年11月11日


前岡崎市議 中根薫さん

【岡崎市長選での「内田派」対「反内田派」】


●政争との決別 市長の姿勢を


 内田康宏氏(59)が競り勝った岡崎市長選では、保守勢力内で市民に見えにくい「内田派」対「反内田派」の対立軸が働いていた。市議や県議として通算34年間、市政を間近に見てきた中根薫さん(77)は「この選挙が政争に矮小(わいしょう)化されるかどうかは市長の姿勢次第」とみる。


 ――今回の市長選の結果をどう見ますか。


 支持団体の構成員からいえば、連合愛知や公明党など、敗れた園山康男さんの方が多かった。だが、投票率が57・81%と伸びなかったことを見ても、訴えが上滑りして浸透していなかった。「最後のチャンス」と必死で戦った内田さんに分があった。


 ――内田さんには、複雑な思いがあるのでは。


 32年前、内田さんが衆院選に立候補して落選した時、父で当時の市長だった内田喜久さんに頼まれ、選対本部長を務めた。その時の選挙違反事件で私も5年後に有罪が確定し、県議を辞めた。政治家として上げ潮だったのに、あの事件を境に人生が変わった。
 受け取った金の認識をめぐって公判で対立したこともあったが、喜久さんは私の政治人生の前半を支えてくれた人だ。今回は、内田さんが自民の旗を降ろさなかったから、せがれ(中根康浩衆院議員)や私は園山さん支持に回ったが、内田市長誕生には、32年前に抱いた子が立派に成長したようなうれしさもある。


 ――岡崎市長選では、政争がくり返されてきました。


 大きな権限を持つ市長は魅力だ。柴田紘一前市長が3期で辞めたのは潔かったが、引退表明後に「内田さんにはやらせたくない」と大村秀章知事らと組んで、これまでと同じ権力闘争が繰り広げられた。


 ――政治色が薄い市職員出身の市長が続く豊田と比べ、市長交代時に施策が引き継がれ
ないのが岡崎の発展を遅らせたという声もあります。


 それは違う。市の未来像を戦わせ、選挙で勝ってこそ、自分の力を発揮できる。前任者の政策が途切れるのも、民意なら仕方がない。


 ――とはいえ、自前の選挙は大変。岡崎は2世政治家が多いという批判もあります。


 金と労力を使って築いた後援会だ。適任者がいれば身内に譲りたいと思うのは当然。ただ、2世には河村たかしさん(名古屋市長)や橋下徹さん(大阪市長)のように、突拍子もないことを言い出す者は少ない。せがれは「おやじが罪に問われた悔しさを晴らしたい」と政治家を志した。


 ――恨みやしこりによる政争は続くのでしょうか。


 トップや取り巻きの姿勢次第だ。権限を持つと、選挙で支援したり資金提供したりした者から、様々な働きかけがある。だが、特定勢力ばかり向いていると、対抗勢力の反発を買って争いは続く。誘惑を断ち切らないと、32年前の過ちをくり返すことになるだろう。(聞き手・本井宏人)


《岡崎市長選》
 知名度をつけた県議が多選の現職を破ったり、後継を争ったりする構図がくり返され、政争を生んできた。今回の市長交代は柴田紘一氏が当時の前職を激戦の末に破って以来、12年ぶり。


《中根薫さん》 1967年に岡崎市議に初当選。79年に県議に転身したが、選挙違反事件で有罪が確定し、2期目の85年に辞職。公民権回復後の92年に市議に返り咲き、市議を計7期務め今年10月に引退。


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