したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

2476チバQ:2011/04/13(水) 22:58:59
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000811104120001
検証 知事選(上)
2011年04月12日


選挙戦中盤、民主党の岡田克也幹事長(左)も応援に入り、松田直久氏のてこ入れを図った=いなべ市北勢町

 「うそー」


 10日深夜、民主党が推薦した前津市長の松田直久氏(56)の選挙事務所。静まりかえった事務所で悲鳴があがった。テレビは、自民党、みんなの党が推薦し、公明党県本部が支持していた鈴木英敬氏(36)の当確を映し出していた。


 松田氏が名乗りを上げたのは2月23日。3週間以上前に鈴木氏は走り始めていたにもかかわらず、民主党関係者にはどこか楽観ムードが漂っていた。


 「勝って当たり前とみんなが思っているので、松田さんに決まったとき、圧勝とは言わなくても『勝ちパターン』ができたという感じはあった」と三谷哲央県議は明かす。


 「三重県方式」と胸を張る、連合三重、県議会民主系会派「新政みえ」の選挙協力態勢で、全県1区の参院選で5連勝中だった。「小泉旋風」の2001年でも1人区を制したのは、岩手と三重だけだった。


 「民主王国」の象徴でもある岡田克也幹事長は、11日の党役員の会議で「あと2回くらい早めに(三重県に)入っておけばよかった」と東日本大震災の影響で地元に戻れなかったことを理由に挙げた。


 だが、午後の会見では自らの甘さも口にした。「ずっと勝ってきたので、何とかなるというおごり、気のゆるみが、私をはじめ関係者のみなさんにあった」


 政権交代を実現させた有権者の熱気は、もはやないにもかかわらず、「三重は違う」という過信。2010年の参院選では、民主党候補は36万票で勝ちはしたが、自民党候補の29万票と、みんなの党候補の18万票を合わせると計47万票。「民主党ノー」の兆候はあった。


 県内の一部首長らでつくる政治団体「日本の原点」を設立し、松田氏を推薦した代表の田中俊行四日市市長は11日、「北勢では民主党への期待は強かったのに、政権交代後の政権運営が期待外れでがっかりしたという気持ちが知事選に表れた」と話した。


 民主党への逆風の中、昨年11月に野呂昭彦知事が3選不出馬を表明後、民主党は候補者を決めきれず、中央官僚や国会議員の名前が浮上しては消えた。関係者は「有権者にドタバタをさらけ出してしまった」と悔やんだ。


 さらに影響したのが東日本大震災だった。震災後、自動車関連企業を中心に操業を中止する企業が多く、圧倒的な集票力を誇った労働組合は機能しなかった。(中島嘉克、姫野直行、藤崎麻里)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板