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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

1343チバQ:2010/05/14(金) 22:38:14
http://mainichi.jp/area/nagano/news/20100514ddlk20010049000c.html
2010知事選:村井知事、政界引退へ(その1) 突然の不出馬表明 /長野
 ◇「当初から1期限りと決めていた」
 村井仁知事は13日の定例会見で「知事としては当初から1期4年限りと決め、不退転の決意でやってきた」と述べ、夏の知事選(7月22日告示、8月8日投開票)に立候補せず、政界を引退する意向を表明した。田中康夫前知事の脱ダム方針などを転換し、保守層を中心に2期目を望む声も多かった中での不出馬表明。告示まで3カ月を切る中、現職の突然の発表を受けて、各党や知事選をにらむ各陣営の動きが加速するとみられる。【光田宗義、福田智沙、渡辺諒】

 村井知事は前回の立候補の目的が「県政の混乱、疲弊を立て直し、新しい県を構築するため」だったと述べ、「再選は一切考えず、揺るぎなかった」と、当初から不出馬の考えだったと強調した。表明のタイミングは「(支援者への説明など)失礼のないよう手続きを踏んだ」という。

 任期4年を振り返って、「1期で道筋をつけようと走り続けて、難題はある程度解決できた」と自賛した。今後の県政の課題は、県内の不況などに対する経済政策を挙げた。後継候補は「この方にやっていただければ、というのはある」と含みを持たせたが、「県民の賢明な判断を期待する」と述べるにとどめた。任期終了後は「働きづめだったので、のんびりさせてほしい。政治の話はこりごり」と苦笑した。

 県政与党として支援してきた自民県連の石田治一郎幹事長は「混迷していた県政を立て直し、今後も期待していたが、誠に残念だ」と無念の表情を見せ、「(後継をめぐり)混乱は避けられない」と話した。知事選では自民県連は前面に出ず、同党県議団に対応を委ねる方針で、県議団が近く対応を協議する。

 また公明県本部の太田昌孝代表は「安定した県政運営」を評価。社民県連の竹内久幸代表も「偉大な4年間だった」と語った。一方、共産党の今井誠県委員長は「浅川ダム問題に象徴されるように住民の思いを無視し、県政を後戻りさせた」と批判した。

 村井知事は通産官僚を経て衆院議員を6期務め、自民党などに所属。国家公安委員長などを歴任。しかし05年、小泉純一郎元首相が掲げた郵政民営化関連法案に反対して、いったん引退した。その後06年の前回知事選に立候補し、田中前知事を破って初当選した。

 ◇最大の命題「脱田中」−−村井県政4年
 田中康夫前知事と一騎打ちとなった前回選で、約8万票の差をつけて初当選した村井仁知事。06年9月に就任すると、田中県政の象徴とされた「ガラス張りの知事室」を廃止したのをはじめ、07年2月には全国的に有名だった「脱ダム」方針を転換し、穴あき方式で県営浅川ダムの建設を表明するなど、特に任期前半は「田中県政からの脱却」が最大の命題となった。

 前知事とは対立が目立った県議会や市町村との関係修復にも努めた。佐久総合病院の再構築問題や、県営松本空港からの日本航空の撤退の際には、元官僚らしい調整力を発揮。フジドリームエアラインズ(FDA)の就航を実現させ、同空港の「定期便ゼロ」を回避するなど、「安定感がある」と行政手腕には一定の評価が寄せられていた。

 一方で「アピール度が低く分かりにくい」「県政が停滞している」との指摘もある。昨年2月には、側近の右近謙一県参事(当時59歳)が、東京地検特捜部の参考人聴取後に自殺した。これを受けて知事は「身に覚えがない」などと語るにとどまり、「説明責任を果たしていない」との批判が相次いだ。

 県世論調査協会が今年4月に行った調査でによると、「支持する」が57・9%と高水準だったが、続投を求める声は40・9%と半数を割っていた。


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