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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ
1217
:
チバQ
:2010/03/06(土) 11:52:23
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1266246995187_02/news/20100217-OYT8T00075.htm
【2】造反劇許し民主混乱
知事選で現職を推薦することを自治労県本部の高芳晴委員長(左)から伝えられる桑原氏 「結論ありきの議論だ。こんなところにおれんっ」。昨年12月6日、知事選候補を決める民主党県連常任幹事会の最中、県連顧問で元衆院議員の桑原豊は、席をけって部屋を飛び出した。
民主県連は、5選を目指す谷本正憲の支持に傾いていた。雲行きが怪しくなったのは、参加者の1人から桑原氏を推す声が上がった時だ。県連代表の一川保夫は「出るなら、勝手に出まっし」と声を荒らげて議論を打ち切り、部屋にはとげとげしい空気が流れた。桑原氏が、知事選出馬を表明したのは5日後のことだった。
◇
民主党県連が、自民党の先手を取って谷本支持を決めたのは、旧新生党系の県議会会派「新進石川」と合流したためだ。
昨年8月の衆院選で民主躍進を支えたのは、金沢に固い地盤を持ち、幹事長の小沢一郎とのつながりも強い新進石川だった。党籍を持つ地方議員が少ない民主県連にとって、政権党として次の国政選挙を戦うには、小沢主導の合流話を飲むしかなかった。
衆院選後、早々に谷本の続投支持を表明していた新進の合流が具体化した時点で、県連の谷本支持の流れは固まり、多選の是非はほとんど議論されなかった。桑原の造反の理由はそこにある。実際、党本部は知事の推薦を3選までと決めており、大義は桑原にある。
だが、その大義の陰にも、新進の存在があった。桑原は元々、新進の幹部と折り合いが悪く、新進の民主入りには「理念や政策が、その場しのぎで、民主とは相いれない」と反対したが、今や、県連内での影響力をそがれかねない。「新進に好き勝手にさせる訳にはいかない」という対抗意識が、桑原に出馬を決意させたのだ。
◇
桑原の戦略は、自らが委員長まで務めた自治労県本部の支援を取り付け、谷本支持を固めた上部組織「連合」の一角を切り崩すというものだった。
だが、自治労の会合では、一部で同情論があがったものの、現職の推薦で決着。桑原は「草の根選挙」を余儀なくされた。そうした中、陣営が、集票の鍵と期待を寄せるのは、桑原の地元、七尾市周辺の支持者と、ライバル自民党内の批判票だ。
桑原は1996年に衆院石川1区で初出馬した際、自民の推薦を受けている。昨年12月14日、自民県連が谷本推薦を決めた直後には、最後まで独自候補擁立にこだわった自民県議が、桑原陣営に電話を入れた。「こっちは駄目だった。後は頼む」。“アンチ谷本”の自民県議の間には、桑原への共感がある。
一方、ある自民県議は苦しい胸の内も吐露する。「谷本氏が自分の選挙区に来ても、用事を作って応援演説はしないつもり。ただ、県連として推薦している以上、表立って桑原氏を支援することも出来ない」(敬称略)
(2010年2月17日 読売新聞)
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