したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

1158チバQ:2010/01/29(金) 21:11:04
http://mainichi.jp/area/gifu/news/20100125ddlk21010026000c.html
明日への針路:’10岐阜市長選/2 中心市街地活性化 /岐阜

人通りの少ないJR岐阜駅前 ◇「人招き入れる街づくりを」 90年から歩行者半減。復活した例も
 「商談客を誘う喫茶店さえなくなった」。岐阜駅前の問屋町西部南街区市街地再開発組合の山内道夫理事長(74)は人もまばらなアーケードを見つめ、力なく笑った。問屋町一帯には90年代初めには約1500店があり、1万人を超す従業員が働いていたが、約400店にまで減った。

 中部経済連合会の調査によると、岐阜市の中心市街地の歩行者は、06年は90年の半分近くまで減少。大型店舗の撤退も続いた。02年2月に「長崎屋岐阜店」、05年12月に「新岐阜百貨店」、06年8月に「岐阜パルコ」が閉鎖された。

 そんな中、山内さんらは、問屋街の一角にアパレル店を中心とした商業施設とマンションからなる地上37階建ての超高層ビルを12年に完成させる予定だ。上層部の住宅270戸は不動産会社への売却が決まり、事業は好調なスタートを切った。しかし、建設予定地から東約400メートル地点にあった「グランパレホテル」が昨年末に閉鎖するなど、活気は失われたままだ。

 山内さんは「市は駅前に広場や公園をつくり、市民の憩いの場を提供したが、街全体ににぎわいが足りない。憩いよりも人を招き入れる街づくりを」と注文を付ける。

 岐阜市内では、一度はシャッター商店街になりながら、民間の力で復活を遂げた例もある。JR岐阜駅北側と柳ケ瀬商店街をつなぐ延長280メートルの「玉宮通り」。通りがある玉宮町は終戦直後はヤミ市が広がっていた。その後、人通りは減り、中心市街地人口の減少でさらに寂れた。

 危機感を持った地権者ら94人は90年、「まちづくり協議会」を設立し、店の改修や建て替え時の約束事などを定めた協定を締結した。全員の同意を得るまでには2年を費やしたが、統一感のある街並みに人気が集まり、人通りも増えた。今では100店近い飲食店やブティックが並び、県外から出店を希望する人もいるほどだ。

 竹中敏夫・同協議会長(77)は、玉宮通りや柳ケ瀬周辺に駐車場が少ないことを挙げ、「気軽に車を止められなければ人は来ない。にぎわいを取り戻すために岐阜市にできることはたくさんある」と指摘する。

 十六銀行(岐阜市)が09年、岐阜・愛知県内の来店者を対象に行った調査では、06年調査では皆無だった名古屋市から岐阜市への買い物客が増えた。07年10月にJR岐阜駅前に岐阜シティ・タワー43が開業した影響などとみられる。しかし、駅から北に約1キロ離れた柳ケ瀬商店街周辺の客足は伸びていない。

 県内外から人をどのように中心市街地に呼び込むのか。市政のリーダーには明確なビジョンが求められる。【山田尚弘】=つづく


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板