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東海・北陸 地方議会・首長,政治・選挙スレ

1119とはずがたり:2010/01/05(火) 21:13:07
自治労出身だが網元の(地元の名家の出である桑原氏。今回の得票はどうなりましょうかねぇ。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/234-235
 有力者と擬制的な親子関係を結ぶ烏帽子(えぼし)親。終戦の年、桑原が生を受けた七尾市佐々波は、いにしえから続くそんな習わしが今も目に見えない糸を紡ぐ漁村である。
 中学卒業後、その地を離れた桑原は、金沢泉丘高から早稲田大へ進学、六九年に県職員になり、やがて労働運動に参加、自治労県本部委員長にまで上り詰めた。八六年には旧社会党に身を投じた。土井たか子が党首となり、瓦の宿敵だった故稲村左近四郎が収賄罪で起訴された年である。
 「ここの有権者は政策ではなく、親戚や友人に頼まれて投票する」。ある県議がそう言ってはばからない三区は、保守の岩盤が長年にわたって自民党以外の候補を拒絶してきた地域。九六年に民主党員となるまで間違いなく“左派”だった桑原が、前回の比例選単独からくら替えして能登の地に舞い戻った時、岩盤は容赦なくその形相をむき出しにした。
    ◎
 八月、富山湾に面した生まれ故郷に桑原は後援会を作った。古くからの網元である桑原家は名家。同家の烏帽子子である町会長・飯山正人は、後援会幹事長に就くことを承諾したが、桑原にこう言った。「桑原家にはいろいろ世話になった。豊さんはここの出だから応援はする。けれど民主党は体質に合わん」
 しかし、各地で後援会を作れずにいた桑原にとって、佐々波だけが頼りだった。解散直後から地元千三百軒を訪ね歩いた。早朝から一心不乱に頭を下げて回った。国会議員のプライドなどなかった。
 「あんな後ろ姿を見せられたら、やるしかないがいね」。経歴へのアレルギーが消えるのに多くの時間は必要なかった。漁民たちが続々と市街地へ乗り込んでいった。帰宅するのは連日、深夜。投開票三日前までに市内約一万六千六百全戸を回り尽くすと、その足は田鶴浜、鳥屋、能登島三町へと伸びていった。


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