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中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ

663チバQ:2010/04/18(日) 13:20:35
http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000141004170001
【松山市議選 2010 51万人の未来】


(下)過疎進む島、届かぬ声
2010年04月17日


大浦商店街と呼ばれた小道は、昼間もほとんど人通りがない=9日、松山市中島大浦

◇合併で行政との距離


  松山港からフェリーで1時間。忽那(くつな)諸島の中心地、中島本島は瀬戸内に浮かぶ小島だ。 本島を含む六つの有人島などからなる旧中島町は2005年1月、北条市とともに松山市に合併した。


  海岸沿いの県道に並行した商店街。 空いている店は20軒に満たず、郵便局やスーパーを除いて、人の出入りはまばらだ。 かつてここは、大浦商店街と呼ばれてにぎわった。 1950年代には40軒以上の商店がひしめき、週末には市場が軒を連ねた。 


  だが、自然減と島外への流出で年に100〜200人ペースで人口が減少。 50年代には、1万8千人いた人口は合併前の04年には6270人。 合併後も人口流出は止まらず、今年4月時点では5114人になった。65歳以上の高齢者は53%に上る。


  商店街で飲食店を営む女性(59)は、「昔は『大浦の大街道』だったんだけど」 と話す。 元々、店は昼間は役場の職員が、夜は農協や消防団など、地域の会合に使われることが多かった。 町役場は支所になり、職員は半分に減った。 地区の会合も無くなった。 「合併前と比べると、お客は、4分の1くらい」 と女性はため息をついた。


  中島商工会で経営指導員を務める中島隆司さん(50)は、「基幹産業が不調な限り、島の過疎化は止まらない」 と力を込める。 島の主要産業は農業と漁業。農業の主要作物はいよかんだが、単価は年々下落傾向にある。 JAえひめ中央農協によると、中島地区のいよかんは10年ほど前までは、1キロ当たり200円以上で取引していたが、ここ10年は120〜180円に低迷。高齢化による担い手の減少から、耕作放棄地などが生まれ、生産量もここ10年で半分以下になった。


     ◇


  一方で、財政に余裕のある松山市との合併で、中島地区が受けた恩恵もある。


  島内の小学校3校は統合されたが、中学校の横に新校舎が作られた。 昨年10月からは、24時間態勢で島しょ部から救急患者を本島に運んだり、沿岸で消火や救助活動をしたりする消防救急艇「はやぶさ」 の運航が始まった。 赤字体質の改善が課題となっていた町営のフェリーやバス、病院も民営化することで存続した。


  最後の中島町長だった武田満幸さん(80)は「地方交付税が減り、合併がなければ町は、もう10年も持たないというところだった。 それが、病院も残してくれ、学校も新しくしてくれた。 松山市には感謝している」 と話す。


  市が特に力を入れるのは観光イベントを中心にした、地域振興策だ。 合併を機に、08年度から県外からの修学旅行向けプログラムで、中島でのミカン狩りや釣り体験を盛り込んだメニューを始めた。 09年度には首都圏の高校など5校が島を訪れた。 この4月からは、「まつやま島博覧会2010」を開催。農・漁業の他、マリンスポーツの体験など、80以上のイベントを開催し、約1万7千人が島を訪れることを見込む。


     ◇


  「市にはほんとにようしてもらっている。 でも、市議さんにはほとんど相談に行く機会はない」。 中島漁協の新山忠勝組合長(63)は、行政との距離感を、こう言い表す。


  町時代、町議は16人いて、ほとんどの集落から1人ずつ選ばれていた。 「水道管が古くなった」 「人工漁礁の整備を」。 町民は小さなことでも町議を通じて、町や県に要望が出来た。


  だが、今、地区在住の市議は1人。 新山さんは、「町議といっても前は、近所の友人みたいな存在で、気軽に声をかけられた。 市議さんは島全体の代表。 小さな声を拾ってもらえるだろうかと、ためらってしまう人も多いのでは」 と話した。 (高木真也)


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