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近畿 地方議会・首長,政治・選挙スレ

6052チバQ:2018/06/01(金) 00:08:09
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180529-00000060-kyt-l25
空港計画、最後まで奔走 平成の滋賀県政、稲葉稔知事
5/29(火) 20:35配信 京都新聞
空港計画、最後まで奔走 平成の滋賀県政、稲葉稔知事
琵琶湖の保全を橋本龍太郎首相に要望する稲葉稔知事(右)=1996年8月、大津市内
 <平成の滋賀県政 稲葉稔知事(1986〜98)>
 6月7日告示、24日投開票の滋賀県知事選は、平成時代最後を飾る県政の舵取り役を選ぶ。平成を支えた3知事(現職除く)の決断や政策を通じ、時代の変遷を振り返る。
 平成が始まった1989年の10月31日。大津プリンスホテル(当時)=大津市=は、経済関係者ら約600人の熱気に包まれていた。びわこ空港の建設を目指す期成同盟会の設立総会。「21世紀は空の時代。遅れをとらないように、湖国の空港の早期開港を」。滋賀県知事・稲葉稔(故人)の呼び掛けで空港誘致は本格的に動き出した。
 時はバブルの絶頂期。県政始まって以来の大事業「琵琶湖総合開発」も仕上げ段階に入り、次なる発展に向けた足掛かりが求められていた。滋賀は高速道路や新幹線など恵まれた立地を背景に、工業県として成長。県民所得も全国上位に定着した。だが、全国で交通網の整備が進み、稲葉に「かつてのような産業上の立地優位性が薄れている」との危機感は強かった。
 ただ、すでに国は地方空港の整備は一段落したとの認識を示していた。湖国経済界は、同様に空港を持たない京都府、奈良県も巻き込み、3府県の商工団体で団結。宇野宗佑前首相ら国会議員も岐阜、三重の両県を加えた5府県の議員連盟をつくり陳情攻勢を展開した。
 90年の期成同盟会には設立時の倍にあたる約1200人が集結。誘致の熱意が届き、国の第6次空港整備計画に初めて組み入れられたのは91年のことだった。
 だが、地権者の反対は根強かった。当時秘書課長だった土井典彦(77)は、自ら地元へ出向き、説得に当たった稲葉の姿を思い出す。騒音への懸念や墜落の危険性を訴える住民の声に、じっと耳を傾け、帰途に就くのは深夜になった。
 土井にとって印象深いのは、住民との交渉に当たる空港担当職員の懇親会に稲葉が行けなくなった時のことだ。稲葉から託されたメモには「自分たちが苦しい時は、相手さんもしんどい。英気を養ってくれ」と書かれていた。「最高責任者として自分が一番しんどいはずなのに」。職員と住民、両方を気遣う寡黙な稲葉のやさしさに目頭を熱くした。
 住民との交渉が長期化する中、バブルは崩壊し、国や県の財政も先行きが怪しくなった。計画が遅れれば実現が遠のく状況に追い込まれ、稲葉は97年、整備に向けた環境アセスメント(影響調査)の実施を決断した。地元からは強い反発が出たが「将来を見通して必要な手を打つ行政の役割を放棄できない」と覚悟。「『小さな民主主義』はもちろん大切だが、『大きな民主主義』も、場合によってはそれ以上に大切だ」と苦渋の選択に理解を求めた。
 結局、稲葉は任期中に空港を実現することができなかった。
 任期最後の県議会本会議となった98年6月。稲葉は悔しさをにじませながら、なお空港の必要性を訴えた。「21世紀は地方の時代と言われるが、それは地方間の激しい競い合いでもある。時代が求める交通基盤を整備した地域が発展してきたことは歴史が証明している」


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